1. 会議録本文
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000・会議録情報
付託議案
○生活保護法案発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=0
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001・会議録情報2
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昭和二十一年八月二十三日(金曜日)
午前十時八分開會発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=1
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002・高木喜寛
○委員長(男爵高木喜寛君) それでは是より開會致します、前囘に於きまして、板谷委員より大臣に對する御質問がありましたが、それを引續いて御願ひ致したいと思ひます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=2
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003・板谷順助
○板谷順助君 他の委員諸君より多數御質問があると思ふのでありますが、先日私の質疑に對して、大臣途中で御退席になりました關係から、引續いて質問を御許し願ひたいと思ふのであります、先日大臣の御答辯に依りますと云ふと、此の生活保護法案と失業對策を混同して御考になつて居るやうに思ふ、又昨日貴族院本會議に於ける大藏大臣の説明に依りましても、生活保護法案の三十億圓を失業對策の一として御説明になつて居ります、そこで私は此の法案の精神と致しましては、今日働くことの出來ない所謂不幸な人々を國家が道義的觀念を以て義務的に之を保護する、是が目的でなくちやならぬ、勿論さうでありませう、然るに失業者がどれ程出ますか、此の參考資料の説明に依りますと云ふと百八十八萬六千人が計上されて居る、是が生活保護法に依つて補助を要する者と云ふ計數が出て居るのであります、果して其の内譯がどう云ふやうなことであるか分りませぬけれども、兎に角先般も申上げましたる通り、今日國民が皆勞でなくてはいかぬ、働き得る者は各各其の分に應じて極力國家の再建に努力せねばならぬ、此の場合に於きましては今申上げましたるやうに、生活保護法案に依つて保護さるべきものは徹底的に之を或程度迄保護せねばならぬのが所謂八百萬人と致しますれば、人口を假に八千萬とすれば十人に一人である、其の割合が出て居るのでありまするが、恐らくは私が今申上げましたるやうに、此の失業對策と此の法案と混同して參りましたならば、恐らくは將來失業者に於ては數字が益益増加を致しまして、殊に物價の大變動の場合に於て、此の「インフレ」の激化して居る場合に於きまして、幾らあつても足りないと云ふ結果になりはしないかと私は此の點を非常に憂ふるのでありますが、大臣の御考を承ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=3
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004・河合良成
○國務大臣(河合良成君) 只今の御尋でございますが、御尤もでございます、唯斯う云ふ風に見て居ります、此の法案は此の間は失業者の方から説明を申上げたものですから、非常に私の頭でもこんがらがつて、はつきり言はむと欲することを申上げることが出來なかつたのですが、こちらの生活出來ない者の側から一つ御覽を願ひたいのであります、此の法律の目的は生活の出來ないものを扶けると云ふことなんでございます、そこで生活出來ない者にどう云ふ種類の人があるかと言ひますと、一番先には寡婦とか孤兒とか、或は傷痍軍人とか癈疾者とか、色々今御話のやうな不幸な、どうしても國が助けなくちやいかぬと云ふ人々が第一に來る、是は勿論のことなのであります、さうして此の法律は矢張り主としてそれを狙うたものなのであります、併しながら憲法の條章でもに三十三條に、結局國民生活は保障されなくちやならぬと云ふやうな風に日本の國は御承知のやうに變りが來て居ります、そこで客觀的の事實として、生活出來ない者は矢張り救つて行かなくちやならぬぢやないかと云ふことになるのでございます、其の面に失業者と云ふものがどう入つて來るかと云ふ問題が起きて來る、そこで失業者と云をものも働ける者は出來るだけ働かせると云ふことは問題ないのであります、是はやるのであります、やりますけれどもどうしても働く機會のない者が出來て來る、働く機會のない者は其の人の責任ではないと云ふ解釋で居るのであります、政府の責任だ、政治の責任である、國家と云ふものは、そこ迄のことはさせることが出來ない、どうしても働く所がない、貯蓄がない、食へない、それを打つちやつて置くかと云ふ問題になる、それは打つちやつて置く譯には行かぬから、矢張り生活保護で扶けて行くと云ふ建前になつて參りますから、其の失業者と云ふものの幾らかの流れが茲に入つて來ると云ふ問題が起きて來る、それがこんがらかつて來る譯なのであります、そこをもつと例を引いて説明を致しますれば、今度は假に厚生省で今やらうとして居る失業救濟の一つの方法と致しまして、機動的に公共事業と云ふものをやらうとして居ります、と申しますのは東京とか大阪とか大都市に於きまして、どうも仕事がなくて困ると云ふことで溢れて來る、言葉は惡いけれども、街頭に溢れて來るやうな状態になればどうするか、さう致しますると、そこに一つの「プール」でも作つて、宜しい御出でなさい、是はあなたは一箇月なら一箇月仕事の見込みが立たぬなら、こちらで御引受けしませうと云ふことで、此の「プール」に入れて、さうして此處に道路の修繕があるからと云つて直ぐ道路の修繕に持つて行く、或は何處かに溝の修繕があるから其處へ持つて行く、或は會社の跡片付があるからやれと云ふので、勞働を割當てて行きますけれども、皆割當てることが出來ぬやうなこともあるし、、又「プール」に殘つて居る人もあらうと思ふ、さう云ふものは賃金でも與へて、さうして出來るだけそれを生かして行くやうなことはやる積りでありますけれども、矢張り茲にちよつと殘るやうな人があると假定致します、さう云ふ人は自分で食つて行けるか行けないかと云ふ問題になります、併し貯蓄があれば此の法案で行く必要はない、此の法案で行かうと思つてはいけませぬ、是は本當に金が無くて食へぬ人と云ふことに限度をして居りまするから、本當に貯蓄があるやうな者は失業救濟の面でさう云ふものは扱つて行くが、本當に食へぬのだと云ふ人は此の面で扱つて宜しいと云ふ風にやつて行きます、失業救濟の一つの「プール」を設けてやつて行く、失業救濟の施設にはこちらも入つて行くと云ふことになる、石橋さんの仰しやつたのは此の點だと思ひます、併しながら此の三十億のものは全部失業救濟で何處へでも廻して宜いと云ふことではない、是は茲に目的があつて客觀的事實として、食へる人は何とかすると云ふ意味を持つて居ります、片方は食へる食へぬの問題でない、、業を與へると云ふ問題である、公共事業を六十億やつて行くのですから、それと目的は違つて居る、違つて居るけれどもずつと末の方に來ると茲に斯んなものがある、それが多少融通性を持つて居ると云ふことになつて參る、さう云ふ風に申上げたいと思ひますが、是で御了承下さいましたか、尚説明が足らぬやうであつたら重ねて御質問を願ひます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=4
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005・板谷順助
○板谷順助君 私の申上げるのは此の法案にあなたが失業對策を結び付けるのがいかぬと云ふのです、若し失業者の中に此の法案で保護せねばならぬと云ふものがあれば、所謂此の法案にも書いてありまする通り、差別的、優先的の待遇をなくして、之を一般國民として扱ふべきものである、失業對策に結び付けると云ふことは今申上げまするやうに、成る程それは憲法には國民の最低生活を保障すると云ふことにはなつて居るけれども、併し遊んで唯食はせると云ふ意昧ではない、働き得る者は出來るだけ働かせよう、又失業對策としては既に六十億の經費が計上されて居る、之に付ては私も色々意見もありますけれども、是は兎に角としても例へば失業者に對する社會保險制度を確立するとか、或は出來るだけ勤勞署を擴張して職業を與へるとか、此の面で失業對策は考へなければならぬ、此の生活保護法は此の間承ると云ふと一人三百圓、所で此の物價の安定を圖ることが先決問題で、「インフレ」を克服せざる限りは到底國民生活の安定など思ひも寄らぬのでありますが、此の案に依りますと云ふと一世帶三百圓と云ふものを總花的に與へることになつて居る、是ぢや一部であります、私の申上げまするのは、失業對策と結び付けずに保護すべきものは或程度迄徹底的に保護してやる、又職がないとか、或は働く機會がないと云ふやうなものは、別に失業對策の案を御立てになつて、さうして之に對して出來るだけの方法を御講じになると云ふのが當然ぢやないか、斯う云ふ意味であります、だから失業對策と云ふことに結び付けられるのはいかぬ、若し失業者にさう云ふやうな種類の人があるならば、所謂一般の國民として此の保護を受くべき範圍に入る、其の場合それを保護すれば宜しい発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=5
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006・河合良成
○國務大臣(河合良成君) 失業者と云ふことは言はなくても宜しいのでございます、唯結局生活の出來ぬ人を保護するのであります、それだけのことで結構なんであります、併し之を後の結果で見ますと、生活が出來ぬことは職を失つたと云ふこともあるのです、それだから結果として混つて來る、そこは御考へ置きを願ひたいと思ひます、だから結局是は或線から下つた、金が無くて此の線から下つたものを救ふと云ふのが此の法律なんで、失業者と云ふことは一應言はないでも宜い、併しながらそこに此の法律に掛かつて行く一世帶三百圓上げた人を仔細に調べて見れば、それは失業の原因と云ふものが矢張りある、お前働けるぢやないか、と言つても働く機會がない、それは此の法律では分けてありませぬ、結局生活困難と云ふ状態の人は、廣い結果に於て失業が原因だと云ふことは、混つて參るのであります、結果のことを事實として私は申上げるので、失業者を救ふと云ふ意味でやつて居るのではないので、是は或線から下つた、生活出來ぬ者を皆救ふと云ふ意昧でやつて居るのであります、怪我した人、親が亡くなつた人、夫が亡くなつた人もありませうし、どうしても生活が出來ぬ、金がなくて困つたと云ふ人を救ふと云ふ法律の建前になつて居るのです発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=6
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007・板谷順助
○板谷順助君 さうすると參考資料に掲載されてありまするが、百八十八萬六千人、是は一體どう云ふ割出しから掲載されて居るのでございますか、それから又大臣は此の頃失業問題が非常にやかましい爲に此の案にも包含して、何と云ふか、一種の「カムフラージュ」でもされるやうに、さう云ふやうにどうも私には見受けられるのですが……発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=7
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008・河合良成
○國務大臣(河合良成君) 實は是は此の百八十八萬人と申しますのは、例へば失業者が五百萬人出て來ると、其の五百萬人出て來る者の中の、就業の「チャンス」を與へまして、さうして食つて行ける者を除いたら斯う云ふ工合になるかと云ふ一つの推定でございます、是は決して私が「カムフラージュ」して居るのではなく、是は政府の方針として、結果に於て關聯性を持つて居ると云ふことと、それから關係筋の色々此の點に付て相談致して居ることとからでありまして、今日も實は是から、一時から私に會ひたいと云ふので、又私が其の相談に參ると云ふやうなことで、色々此の點は綺麗に分けられない、目的は違って居りまするけれども、結果に於て截然と分けて行くと云ふ性質の仕事ではないものでございますから、それも混って居るので、或目的の爲に「カムフラージュ」して居ると云ふことはありませぬ発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=8
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009・板谷順助
○板谷順助君 他にまだ御質問もあらうかと思ひますから、私の質問は保留致して置きます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=9
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010・佐々木惣一
○佐々木惣一君 ご質問を申上げます、實は私の質問は澤山質問點がありまして、皆樣に甚だ御迷惑かと思ひますが、但し質問の點の之に對する御答は、極めて簡明で宜いのです、私が質問致しまするのは、大體私は斯う云ふ法案は非常に嬉しい、私個人としては非常に全體として贊成致して居ります、唯どうも甚だ申し上げ難いのですけれども、急に御作りになつたとも思へまして、少し整備して居ない點があるかと思ひますが、是は從來斯う云う似た法律が澤山ありまして、現に之に依つて廢止せられると云ふやうなものもありますから、それで私は矢張り質問を申上げまするのは、其の考ふべき點を明かにして、願くは必ずしも今期ではありませぬ、此處でどんなに研究して見ても、是が修正をすると云ふやうなことは、今に及びまして出來やしませぬ、さうして今後色々研究すべき點を明かにして、願くは斯う云ふ精神の法を一層整備さして、さうして我が國に於て生活保護法と云ふやうな、さう云ふ立派な法律の、今後に於て出來ることを實は希望して居るのでありまして、さう云ふことに或は役立つかも知れぬと云ふやうなことからして、實は質問を申上げるのであります、甚だちよつと縁遠いやうですけれども、さうぢやないかと思ひますから御了解願ひたいと思ひます、先づ私は何と申しましても、第一點と致しましては、本法案を私は生活保護行政と名付けますが、本法案に定めむとして居りまする所の生活保護行政の基本的理念と云ふものが、何處にあるかと云ふことはどうしても決めて掛らなければいかぬ、但しそれが爲には所謂保護をなすと云ふ、さう云ふことの要件を實は第一條に決めてある、それを嚴密に考へなければいけませぬけれども、それはまあ巧く一應豫定致しまして、現に生活をなすこと能はざる状態にある者をして國家が生活をなし得る状態に置くと、斯ふ云ふことであるかと思ひます、言葉はどうであらうとも、さう云ふものだと云ふことを豫定致しまして、さうして今御尋ね致しました基本理念に付て、政府の御考を伺ひたいと思ふのであります、言ふ迄もなく、斯う云ふ現に生活をなすことが能はざる状態にあると云ふやうな、さう云ふ事柄に對しまして、國家は固より一定の行政をなさなければならぬが、其の行政は言ふ迄もなく、それ等の者に生活をなすことの出來る状態を與へると云ふことは、疑ひないのでのありますが、唯併しながら生活をなし能ふるの状態を與へる、さう云ふ行政をなす場合に、其の基本的理念としては、どうも二つのことが考へられる、それはさう云ふ状態に其の人間があると云ふことは、是はどうも即ち社會状況に依って生ずる所の事實であるからして、國家が之をさう云ふ意味に於ての保護をすると云ふ責任を持って居るのである、其の責任を盡す意味に於て、保護行政を行ふのである、斯う云ふ風にまあ考へますが、私は之を假に言葉と致しましては、即ち此の行政の社會上の見地と云ふことを言ふのでありまするが、それに反しましてさう云ふ人は大變氣の毒だ、仍て其の人に生活と云ふものを與へるのであると、斯う云ふやうな見地から、さう云ふ生活を與へると云ふ行政をなすと云ふことを考へられるのでありますが、便宜上私は之を假に人道上の見地と申して置きますが、此の社會上の見地に於て此の保護行政をなすか、或は又人道上の見地に於てなすかと云ふことは、是はどうも苟くも斯う云ふ行政をなし、又斯う云ふ行政に關する法を初めて統一的に作ると云ふ場合は、きちんと決めて置かなければなりませぬ、それでまあ私自身の考を申すことを許して戴きますれば、私は國家の行政としては、社會上の見地に於てなすべきものであると斯う考へまするが、是は昨日大臣の御説明の中に於て、國家の責任に於てなすと云ふ御言葉がありましたのですが、それでまあ大體に於きましては、さけ云ふ同じやうな見地であるぢやないかと思ひましたのですが、詰り是は社會正義、社會生活に關する所の正義を實現すると云ふことが國家の任務、作用の重要なる一つである、斯う云ふことだらうと思ふのであります、所謂人道上の見地と云ふやうなことではない、唯併し甚だ失禮ですけれども、大臣の御演説を時々、或外の場合に、衆議院でしたか、伺つた時に、友愛と云ふことを、私の聽き誤りでしたら改めますですが、時々と云ふよりも屡屡仰しやつたやうに思ひましたが、誤りですかどうですか、それからして民生委員令の中に仁愛の精神と云ふ言葉が用ひてあるのですが、此の言葉は勿論それは惡い言葉ではないのですけれども、斯う云ふ法は、さう云ふ友愛とか仁愛とか云ふやうなことを基本理念とすべきものぢやないと思ふ、私は矢張り社會組織と云ふものから生ずる所の缺陷、さうしてそこに社會的正義と云ふものが、茲に不完全だと云ふことに基いて社會正義を實現すると云ふやうな、そこに國家の責任を感ずると云ふ風に出た方が宜いぢやないかと思ふのであります、法の適用には餘り關係ないですが、まあさう云ふことでありまして、さう云ふ點に付きまして、政府の見地をもつとはつきりと御決めになることは出來ないか、唯法の文章の上に書くと云ふことぢやありませぬ、法の制定の時に其の基本となつて居りまする所の理念に付て申上げるのであります、それから又、甚だどうも喋ることが多くていけませぬが、第二點と致しましては、詰り此の生活保護行政を行ひまする相手方、所謂保護を受けると申しまするか、或は保護せらるると言つた方が宜いかも知れませぬ、受保護者と言ふより被保護者と言つた方が宜いかも知れませぬが、まあどちらでも宜しうございますが、さう云ふものの範圍を決める、此の法が決めて居ると云ふ、さう云ふ要件ですね、さう云ふ要件に付てちよつとはつきりとして置きたいと思ふことがあるのが第二點でありますが、是はまあ先刻申上げましたやうに、現に生活をなすこと能はざる状態にある、さう云ふことが要件であらうと私は思ふのであります、それが將來どう行くか、何か良い職業を得てそちらに行くか、或は又誰かそれこそ慈善的な人間が出て來てそれを救ふか、そんなことは別だ、現に生活をなすこと能はざる状態にある者を救ふと云ふやうな意味だらうと思ひますのですが、併し是は法案の意味ですから、さう云ふ風に解して宜いものでございませうか、「生活の保護を要する状態にある者」と云ふのは、要するに兎に角、現に生活をなすこと能はざる事實上の状態にある者と云ふ風に理解して宜いものでありませうかと云ふことです、それを御尋ね致したい、私はそれが宜いと思ふのでありますが、併しながら政府の方の御解釋、御考はどう云ふ所にあるかと云ふことを御尋ね致したいと思ふのであります、從つてさう云ふ現に生活をなすこと能はざる状態にあることの原因如何は、是は問はない、先刻來御話がありましたやうに、失業と云ふことでもそれは少しも構はない、是は言ふ迄もなく失業對策ではない、失業の結果、現に生活をなすこと能はざる状態にある者、さう云ふ者を救ふのでありまするから、それで是は固よりさう云ふ失業對策と云ふものでないと云ふことは、是は此の法を見れば當然に分つて來るであらうと私は思ひますが、さう云ふ風に理解して宜いのであらうかどうかと云ふことを御尋するのでありますから、それからそこでですな、さう致しますと云ふと、本法に依る保護とか、時々さう云ふ言葉が書いてありますが、本法以外の法ですな、本法以外の國家行政と云ふやうなものから、其の生活上の保護を受けて居らうが居るまいが、それは本法の適用に付ては考へないと云ふことであるかどうか、そこの所は矢張りはつきりとする必要があるかと思ひますが、それはまあ此の要件としての積極的の方面から申しましたのでありますが、要件の中で此の消極的の面から御尋したいことがあるのであります、それは消極的の要件と致しましては、第二條の所謂第二號には、通俗に懶者と申しますか、「能力があるにもかかはらず、勤勞の意思のない者、勤勞を怠る者その他生計の維持に努めない者」、それを懶者と申します、「素行不良な者」、是も宜しいのでありますが、それは同じく二條にありますが、第三條には、「扶養義務者が扶養をなし得る者には、急迫した事情がある場合を除いては、この法律による保護は、これをなさない」と云ふのでありますから、そこで此の法に依つて、扶養義務者が而も扶養をなし得ると云ふときには保護をなさないと云ふことになる、是は消極的の要件が斯う云ふ風に決つて居ります、二條と三條に、そこで私は之に付て二つの疑問を持つて居るのです、それは二條一號、二號のことは暫く……懶者とか、それから素行不良者とか云ふやうなことはまあ宜いと思ひます、此の所謂「扶養義務者が扶養をなし得る」と云ふのは一體どう云ふことか、此の「なし得る」と云ふのはどう云ふことか、詰り事實上扶養……法律上の意味に於てです、扶養義務と云ふやうなものに付て問題があると云ふことでなく、事實扶養をなすことの不可能な状態にあると云ふ意味であるか、此の「なし得る」と云ふ言葉が必ず是は將來色々の問題に付て解釋上問題を生ずる虞のある文句でありますから、そこで「扶養者が扶養をなし得る」と云ふ意味が一體どう云ふことなんですか、「なし得る」と云ふことを唯ちよつと斯んなことを大臣に御尋するのは、細かいことでありますから、外の方でも宜しうございます、それから「扶養義務者」、是と保護義務者との關係と云ふことが根本の問題になりますけれども、斯う云ふことは後に廻しまして、唯今申しましたやうな、兎に角消極的に、現に生活をなすことの能はざる状能にある者でも、此の本法に依る生活保護を、行政の對象とならぬ者があると云ふことはそれで宜いと致しまして、ここで御尋ねするのでありますが、それで本法に依る生活保護をなさぬと云ふのはそれで宜いと致しまして、併しですな、さう云ふ本法に依る生活保護をなさぬ者の取扱と云ふことに付きましてはどう云ふ風に取扱ふかと云ふことに付て、何等か御考がありますか、ありませぬかと云ふことを御尋したい、現に生活を爲すこと能はざる状態の者が茲にある、生活保護法ではそれを生活保護行政の對象として保護を與へることが出來ない、併しそれで宜いものか、生活保護法では現に生活を爲し能はざる、状態にある者に、國家としては保護をせぬ、さう云ふものは一體どうする、それは或は生活保護法から來る取扱なり或は生活保護法以外の取扱に任すと云ふやうなことでありますか、之をちよつとはつきりしたいやうな氣持がするので、それを御尋ね致したいと思ひます、それから大變長くなりまして相濟みませぬけれども、今度は第四章に國家の保護の態度の基本的のもの…茲に「保護の種類、程度及び方法」と云ふものがありますが、それは別と致しまして、基本的のものとして第一條に「國が差別的又は優先的な取扱をなすことなく平等に保護して」と斯うありますが、是はどう云ふ意味でありませうか、昨日の大臣の御説明から察しますると、生活保護の對象として取上げなければならぬものは、普通の社會状態に於てさうである者もあるし、例へば軍事とか戰災者とか色々な者もある、それ等の間に差異を付けないと云ふ風にちよつと御説明の言葉ては伺つたのですが、第一條はそんなことでせうか、さうぢやない、さう云ふものはどんな者でも保護をすると云ふことは疑ひないことだが、兎に角保護をしなければならぬ者の間に平等の取扱を爲す、平等に保護する、斯う云ふ風に取るべきものではないか、軍事とかそんなことは問題ではないのでありまして、兎に角保護を受けなければならぬ状態にある者の間に平等に保護すると云ふことであるか……是はまあ非常に解釋上重大なことになるかと思ひますので、それを御尋ね致したいと思ふのであります、そこで此の平等と云ふ言葉は此の頃憲法にも平等と云ふ文字を使つて居りますし、又大變此の頃流行して居りますが、併し此の生活保護に付て平等と云ふことは、先刻申上げましたやうに普通の社會事情に依ると云ふのと、戰災とか軍事とか云ふやうなことの平等でなしに、兎に角保護を受けるべき状態にある者を平等に取扱ふものとしての平等であるならば、此の平等と云ふことは具體的に何等か解釋をはつきりする必要があるかと思ひます、例へば三百圓とか云ふ話がありますが、誰にでも三百圓づつ與へなければならぬ、さう云ふことが平等と云ふことでありますか、具體的にもつと分り易く……是は唯一つ分り易い例を申したのでありますが、此の平等と云ふ言葉は一體どう云ふことであるか、生活を爲し能はざる状態と申しましても、幅の廣い言葉でありまするから、生活を爲し得る状態と云ふものの中には色々な状態があるだらうと思ひますが、其の色々な状態にそれぞれ即應して保護を爲すと云ふことが許されるのであるか、或は皆に三百圓とか何とか……一人三百圓與へたならば他にも三百圓を與へなければならぬ、さう云ふ意味の平等であるかと云ふことは、是は非常に重大なことでありますから、それで此のことを御尋ねするのであります、それから第五點と致しまして、「保護は、生活に必要な限度を超えることができない」と云ふ規定が第十條にあります、是はまあ分つたことでありますが、唯はつきりとしたいことは、「保護は、生活に必要な限度を超えることができない」とあつて、其の保護の種類として茲に擧げてある所に依りますと、生活扶助、醫療、助産、生業扶助、葬祭扶助、それをどう云ふ風にやるかと云ふと勅令で定めると云ふことでありますが、併し例へば是は保護施設の内容に付て非帶に關係がある、例へば其所に入つて居る者の精神修養、此の頃大變やかましく申します所の文化とか、まあ精神教養と云ふやうなものに役立つやうに此の施設を作る、保護施設の中にさう云ふ何か代表でも作ると云ふやうなことは、此の生活に必要な限度でないのか、例へば或は一つの生活保護施設の中に何等それ等の人の精神的の教養なり慰安なりと云ふものに役立つやうなことをやつて居なくても、それでも矢張り保護施設として生活に必要なる限度の施設を爲して居ると、斯う云ふ風に言つて宜いのであらかどうか、さう云ふやうなことを茲でちよつと御尋して見たいと思ふのであります、それから第六點と致しましては保護行政の主體は國家であるか市町村であるか、斯う云ふことであります、それで第四條には「保護は」、中の言葉は略して置きまして、兎に角「現在地の市町村長が、これを行ふ」と云ふ規定がありますが、市町村長が行ふと云ふやうなことを言ふ場合に、其の市町村長は市町村長と云ふ自治行政を行ふものとしての市町村長であるか、或は又それが國家行政を委任されて居るものとしての市町村長であるかと云ふことは、是はまあちよっと餘りに法律臭いやうに御考になるかも知れませぬけれども、實は非常に重大なことでありまして、はっきり決めて置く必要があるかと思ひます、私の意見を茲で申上げるのではありませぬが、他の保護の適用に付ても非常に重大な影響がありますから、それを御尋して置く譯であります、それから第七點と致しましては此の保護施設のことに付てちよっと御尋ね申上げたいのですが、保護施設を一體誰が設置するのであるか、さう云ふことになりますると是は第六條、第七條、それから二十四條に間接に出て居ることでもありますが、是は詰り先づ市町村、第七條では主に市町村と市町村以外の者、是は私人のことを言つて居るのでありますが、併しながら第二十四條には「都道府縣が設置した保護施設」云々と云ふこともありますから、都道府縣も設置出來るやうでありますが、國家が此の保護施設を設置すると云ふことは、是は本法ではやらないと云ふ見地に立って居るのであるかどうか、斯う云ふことをちよつと明かにして置きたい、尤も私は此の法案を二、三日前から急いで讀みましたので、或は思ひ違ひであって、此の法案をもう少し能く見れば、國家がさう云ふ施設を爲すと云ふ場合が出て來て居るかも知れませぬが、兎に角併しちよつと見た所では國家が此の本法に依る保護施設はやらないやうにも見えますが、さう云ふ點はどうであらうか、それが若しさうでありまするならば其の事由はどう云ふ譯であらうか、公共團體と云ふものが主としてやると云ふことも宜いでせうけれども、併し國家が其の施設をやらないと云ふことはどう云ふ建前になるのでありませうか、斯う云ふことを一寸伺ひたいのでありますが、それから私人も施設をやる場合があるやうになつて居るのでありますが、そこでちよつと伺ひたいと思ふのですが、市町村以外のもの、都道府縣は別でありますが、要するに私人でありませうが、市町村以外の者が保護施設を設置するには地方長官の認可を受けなければならぬと書いてありますが、是は現行の救護法にも同じやうなことがあるかと思ひますが、そこで此の保護施設を設置しようと云ふのは、詰り客觀的の其の状態が、此の保護法に示してありまする所の施設と同樣の状態をなすと云ふことを言ふのであるか、或は生活保護法の爲に役立つものとして、さうしてさう云ふ施設を爲すものと云ふことであるか、是はちよつとはつきりして居ない、併し是は可なり重大なことかと思ひまするのですが、それは地方長官の認可を受けなければならぬと云ふことに相成って居りまするが、生活保護法の定める生活保護をなす爲の施設をそれは言ふのであるか、或は單に自分が生活に困るやうなものを一つ受容れて、さうしてそれに生活を與へようと云ふやうな、別に此の生活保護法を施行すると云ふのでなしに、さう云ふ仕事をなすと云ふやうなものでも、矢張り地方長官の認可を受けなればならぬものであるかと云ふことは、是はちよつと重大な事件であります、保護施設を設置しようとする時には地方長官の認可を受けなければならぬと云ふことはちよつと重大なことかと思ひます、若し本法に定めてありまする所の生活保護施設ではない、唯併しながら事實上是と同じやうなことを或部面にやるやうな、さう云ふ施設を作る時にも尚且地方長官の認可を受けなければならぬと云ふことに相成りますると云ふと、恐れまするのは新憲法との問題が生ずるのであります、それからして今度はそれと相續きまして、さう云ふ保護施設をしたものは、市町村長が保護又は援護の爲に委託することが出來る、それはまあ宜いでせうが、其の委託を拒むことが出來ないと云ふことが第八條になつて居りますのですが、之に付きましては、私は今自分の法理論を申上げることを私自身に研究が足りませぬから差控へて置きます、けれども可なり是は非常に法律的に重大な問題です、そこで第八條ですが、兎に角私が法に反すると云ふことを言ふのぢやありませぬが、唯法理上餘程研究の餘地を生ずる問題である、最も現行の救護法にあると思ひますが、新憲法の下に於きましては可なり疑問を生ずる問題かと斯う云ふ風に思ひますから、ちよつと、其の點に關しまして、御意見を伺ふだけであるのでありますが、それから第八點でありますが、どうも色々多くなりまして相濟みませぬですけれども、費用の負擔であります、第八點の保護行政に必要なる所の費用の負擔であります、是は兎に角保護行政が國家の行政であると云ふ建前を執るのか、或は又、市町村の自冶行政である、或は又都道府縣の自治行政であると云ふ建前を執るかと云ふことが前提になつて居ります、そこで色々議論が出るかと思ひますが、是は本法に依りますると云ふと、結局色々な行き道、道筋はありますけれども、國家が全部ではないけれども、負擔をすると云ふことになつて居りますと思ひますが、それはまあそれで宜からうが、唯それが……私の考も大變むづかしいやうなことを申しますけれども、詰り補助をすると云ふやうな意味であるか、或は償還をすると云ふ意味であるか、法上の性質は大部違つて來る、本來國家が負擔すべきものを他のものが出して呉れたからして、それで其の全部でないにしても、或は幾分でも其の費用を償還するのであると云ふ、さう云ふ法理に立つのであるか、或は又、其の費用を補助してやるのである、斯う云ふ法理に立つのであるかと云ふことは、どちらを執るに致しましてもはつきりとして置かなければならぬのでありますが、本法を私が、誤解でありまするか、どうですか、私の理解する所に依りますると云ふと、補助主義になつて居るやうな感じが致しまするが、さう致しますると云ふと、是はどう云ふものでありませうか、本來國家の行政であつて國家が費用を負擔すべきものであると云ふ建前を執るならば、文字は別と致しましても、根本の思想に於ては其の費用を償還をすると云ふ根本の立場に立つべきものぢやないか、斯う思つたものですから、其の點に付てもどう云ふ考かを御尋するだけであります、それから其のことは特に私人が、六條、八條に依りまして私人が保護施設を致しましてさうして此の國家の、實は市町村でありますが、委託を受けまして、さうして生活保護と云ふ、さう云ふ事務を執つて居ると云ふ時に、一應理論的には考へて置かなくてはならない、其の場合は先刻申上げました自治團體に對するよりも一層明かに補助と云ふ思想ではいけない、矢張り償還と云ふ思想でなくちやならぬかと私は思ふのですが、さう云ふ點に付てはどう云ふ考、是は實は法理ですからして、そんなに大臣なぞに斯んな細かいことを伺ふこともありませぬ、外の方で結構でありますが、根本の法理だから明かにして置かなければならぬと云ふ爲に申上げるのであります、それから大變長くなつて相濟みませぬですけれども、第九點になります、保護行政事務の執行、此の本法に依りまする所の生活保護行政の事務を現實に執行致しまする場合に付て、斯くの如きことに付て御尋して見たいことがあるのであります、それは其の中の一つの問題と致しまして、一體生活をなし能ふ状態を與ふると云ふさう云ふ行政は、假に國家と申して置きますが、國家が何人からの要求をも俟たずして進んでやるべきものである、或は何人からか斯う云ふ者があるからして、之を一つ保護して呉れと云ふことを要求して、さうしてさう云ふ行政をやるべきものであるか、斯う云ふ點に付きましてどう云ふ見地であるかと云ふことをちよつと御伺ひして見るのです、實は是は此の見地をはつきりとするに足りまする所の條文は一つもないのですから、それで御尋申上げます、是は救護法の時にもさう云ふことを明かにする條文はなかつたのですけれども、救護法では省令でしたか、勅令でしたかはっきり致しませぬが、多分省令だつたと思ひますが、其の建前に依りますと云ふと、其の本人又は何等か關係ある者の申請を待ってすると云ふことを第一次の建前として、申請がなくてもやると、斯う云ふ風な規定だつたかと思ひますが、ちよつとさう云ふ材料を持つて來て居りませぬから、間違つて居るかも知らぬが、間違つて居つたら事務當局の方に直して戴きたいと思ひます、さう云ふことであつたと思ふのですが、どうせ生活保護法に付きましては省令と申すか、何と申しますか知らぬが、要するに命令が出るかと思ひますが、さう云ふ場合に於ける一つの根本見地として何人からも言ふて出なくてもやると云ふのが根本の建前であるか、言ふて出たものにやると云ふのが根本の建前であるかと云ふことは、是は生活保護と云ふことに付て非常な重大な問題でありまして、爰で暫く私の意見を申すのを許して戴けますならば、是は今日の救護法の主義は宜しくない、何人が申出ると否とに拘らず國家が進んでさう云ふものがあるや否やを見て救護と云ふ行政をなすと云ふ、さう云ふ建前にしたい、但し言ふて出ることを妨げるのぢやないし、實際に於きましては言ふて出る者がなくちや分らぬけれども、併し建前と致しましては現行法の建前とは裏腹になつちやつて、申請を待つてやると云ふやうな建前は私はいけないと思ひますが、斯う云ふ點に付きましては或は御考になつて居るのであるかどうか知りませぬが若し御考になつて居りますならば、どう云ふ見地であるかと云ふことをちよつと御尋ね致したいと思つたのであります、それから直接の事務執行、保護と云ふことをするさう云ふ直接の機關と、それからそれに對しましてそれを適當に監督するとか、見て居るとか、指導するとかと云ふ機關等があることは言ふ迄もないことでありますが、何れに致しましても斯う云ふ行政に付きましては、御存じのやうにどんなに法制が完備致しましても、教育行政と同じやうに其の局にある人柄、態度と云ふもので其の效果が擧がると否とが決ると考へるのでありまして、是は日本のみでありませぬ、西洋に於ても所謂社會事業と云ふものを、私共が多少視察して見せて貰つた時でも、西洋でも隨分惡口があるのでありまして、さう云ふものが何か自分の威力なり、恩惠なりを施すと云ふやうな態度で非常にいかぬ、斯う云ふことは西洋に於ても日本に於ても、私共は時々さう云ふことを聽くのでありますから、そこでさう云ふ問題に付きまして、即ち初に申しましたやうに、それの事務に當る人々は社會正義を實現すると云ふ、さう云ふ國家の行政をなすのである、唯人を憐れむと云ふやうな、從つてさうなると自分の個人的主觀態度が入りますが、さう云ふやうなことで行つて居るのでないと云ふやうな頭を一つ植付ける必要がありはしないかと云ふやうなことを考へて居る、但し其のことは初にも申上げましたやうに、さう云ふ人道上の見地を持つことを妨げるのぢやない、それは、即ち我々が教育を致しまする時には、固より第二の此の次の國家を背負ふべき所の國民を養成すると云ふ、さう云ふ國家的任務を執行するものであると云ふことは疑ひないけれども、併しながら其の任務の對象であります所の個々の即ち生徒、學生、是は私個人の考へでありますが、此の男を良くしてやりたい斯う云ふ人道的の意識が立つのである、白分は唯國家の命じて居る所の行政事務を行ふのであると云ふことでは教育は私は出來て居ないと思ふ、それでありますから矢張りどうも此の學生は、苟くも少しでも自分に付て説を聽くと云ふやうな學生であるとすれば、どうか此の男を良くしてやりたい、斯う云ふ即ち人道的の見地が私共には、不肖でありますが、あるのであります、そこで本法の保護行政の見地は、國家の責任として社會正義を行ふと云ふやうなことである、從つて人道上の見地ではないと云ふことは、其の事務の衝に當る人が人道的の觀念を持つてはならぬと云ふことではない、あべこべであります、それは別のことであります、でありますからさう云ふ點に付きまして矢張り直接に其の衝に當る者に對する所の指導と云ふやうなものに付きましては、社會的正義を行ふ爲の國家の責任であるとして行ふと云ふことを明かにすると共に、生活保護法は同時に個々人の衝に當る所の氣持としては、同時に人道的の觀念と云ふものを十分に裕かに持たせると云ふことが必要であると私は思つて居ります、さう云ふ點に付きまして政府の方方の御氣持はどう云ふものであるかと云ふことを御尋して見たいと思ふ、それから丁度咋日控室で戴きました材料に依りますると云ふと、所謂民生委員、是迄は方面委員と名付けて居つた所のものでありまして、此の民生委員令と云ふものが軈て出來るらしうございますが、此の民生委員と云ふものが間接にしても直接にしても、何れに致しましても是は先刻私共が申しましたやうに、假に申請なくしても保護を要するものを探すとか、何とか云ことに相成りますと、取敢ず斯う云ふ人々が非常に働かなければならぬ、民生委員と云ふものがさう云ふことになつて居ります、斯う云ふ民生委員令と云ふものが軈て出ると云ふことは大變結構なことだと私自身は思つて居りますが、唯此處にもちやんと書いてありますから申上げなくても宜いのですが、民生委員の選任に付て十分御注意を願ひたいと云ふことと、もう一つは民生委員と現に存在して居ります所の下級の即ち所謂自治團體、自治團體と言ひますか、本當の今自治團體でない例の組長、或は町會長と云ふやうなものとの關係に付きまして、是は民生委員にさう云ふことはある筈はありませぬけれども、運用上特別の御注意があるかどうかと云ふことを御尋する、私是は併し組長とか、町内會長とか云ふやうなものの制度に付きましては實は此處で申上げることではありませぬ、地方自治に關する制度の時にやることで、問題でありますけれども……斯う言つた現在の状況に於きましては、非常に批評のあることでありまして、非常に良い點もあるし、非常に惡い點もあるのでありまして、さうして此の民生委員と現在の組長、町内會長は固より、其の職務に依って定めて居ります所の法制上の根據も違ひますけれども、何れに致しましても實際上に於きましては、此の生活保護法と云ふものが施行せられますと云ふと必ず連絡するに違ひない、さうしますと云ふと此の組長或は町内會長と云ふ者の人柄如何に依つて、民生委員と云ふ者が實質上其の本來の職務を執り得ることが不可能であると云ふことになる虞が十分にあると思ひます、今の方面委員でも多少問題がある、さうして詰り第一保護を受けます者に必要以上に差恥或は又惡感と云ふやうなものを起さすと云ふ危險が十分にあるのですから、私は事實も知つて居りますのですが、固より初に申上げましたやうに、是は社會正義として國家が行ふのでありますから、此の生活保護法に依りまして、保護を受けましても、本當を言へば恥ぢるに當らない、恥ぢるどころぢやない、生活保護を受けることに依つて國家をして社會正義を實現せしめるのでありますから、「パッシッブ」には國家に役立つて居る譯であります、併しながら半面に我々個人々々の感じを見ますと云ふとどうも斯う云ふ法制でありましても、保護を受けると云ふことを、何んとなく恥づると云ふやうなことになります、時には、反感を持つと云ふことになりますから、さう云ふことが出來ましたならば、折角の生活保護法と云ふものを御作りになる所の趣旨と云ふものが、全然沒却される、斯う云ふことになりますから、斯う云ふ點に付きまして、特に何等か御考があるものでありませうか、なけらねばならぬが、まあなくとも俄かのこでありますからちつとも差支へありませぬが、御考へ置きを願ひたいと思ひます、最後でありますが、いや其の前に、大變失禮ですけれども、第十點と致しまして扶養義務者の地位に付て、先刻詰り扶養義務者があつて、さうして扶養義務者が扶養を爲し得ない場合と云ふことが消極的要件になつて居ると申しましたのですが、そこで其の事自身に付きまして私は多少の問題が殘つて居ると思ひます、扶養義務の履行と云ふものと、生活保護法に依る國家行政との聯關を付けると云ふこと自體にどうもぴんと來ない所があるのでありますが、併し實際の場合に於きましては、扶養義務者と云ふ者が日本に於きましては扶養するのでありませうし、從つて生活保護を受ける所の積極的要件と云ふものがなくなりますから問題は起らぬでせうけれども、併しながら建前としては生活保護行政と扶養義務者の義務履行の態度と云ふものが全然關係せざるものであると云ふ考を取って居る建前と致しましては……、併し其のことは此處で申上げませぬ、何れに致しましても根本は扶養義務者が扶養を爲し得る場合は生活保護を與へぬとしてありますが、そこでまあ外の消極的要件の場合と同じことで、保護を與へぬと云ふことで、それでしつ放しで宜いのであるか、此の場合扶養義務者に何等か、斯う云ふものがあるが、保護を與へることは出來ないけれどもとか何とか云ふことを、扶養義務者をして其の状態を知らしめると云ふやうな、さう云ふ任務を生活保護行政に關聯して持つべきではないかと、斯う云ふ譯でありますのです、それは丁度強制執行法に於きまして、まあ檢束と云ふものが皆御存じの通りありますが、病氣でも泥醉者でも瘋癲者でも何でも檢束を致します、檢束を致しますけれども、甚だ自分のことを申して、許して戴かなければなりませぬが、檢束に關する所の考へ方が實は間違って居る、檢束してしまへばそれで國家の行政は濟んでしまふと考へて居るが、さうぢやない、二十四時間の檢束と云ふことは、其の間に次の行政上の處置と云ふものを考へる餘裕をそこに持つのである、それで、例へば病氣の時には固より、泥醉者の如きは恐らく二十四時間經つたならば醒めてしまひまするが、病氣であるならば何處か病院へでもやるやうな處置をするとか、親を呼んでやるとか云ふやうなことで、次に執るべき處置を考へる爲の期間でもあるのであります、是は今日では檢束してしまへばそれで宜いと云ふ風であるが、さうでない、次でどうしたら宜いかと云ふことを考へなければならぬ、それと同じやうなものでありまして、扶養義務者が扶養して居ない時には、生活保護法上の保護を與へぬと云ふことは、まあそれはそれで宜いと致しましても、それで放つて置いて宜いものであらうか、仍つて扶養義務者にそれを知らしめてやるとか、さう云ふ第二段の處置を執るべきことが必要ぢやないか、それは矢張り生活保護法其のものでさう云ふ處置を攻究すべきぢやないかと、斯う云ふ風に考へて居るのでありますが、それから次で此の扶養義務者の詰り費用の負擔でありますが、其の點に付きましても私はどうも疑問を持つのです、扶養義務と云ふことと生活保護行政と云ふことの聯關が本來ないものだと云ふ建前を取りますならば、どうも扶養義務者が扶養義務を適當に履行せぬからと云ふので、生活保護の費用を負擔せしむると云ふ議論は成立たぬかと思ひますけれども、併しまあ是は一體どう云ふ性質を持つて居るか、其の費用負擔と云ふことは……、是は大變專門的な言葉を用ひることを許して戴きたいのですが、是は公法上の性質を持つて居るのであります、私法上の性質を持つてない、金錢上の……、是は非常に重大なことである、それに付きまして爭を生じて費用負擔者が其の費用に付て彼此言つた時には、民事訴訟が提起出來ると云ふ點がありますから、併し民事訴訟が提起出來ましても、私法上の性質を持たないのでありますから……、或は又土地收用でも同じことでありますから、そこで公法上の問題、さうすると云ふと扶養義務者と云ふものは、即ち其の生活保護の費用を負擔をすると云ふ公法上の義務を持つて居る公法上の義務を持つて居るが、公法上の義務を履行せぬから裁判で之を取れると云ふことにまあなるのですが、どうも構成が現行法制度にもありますが、妥當であるかどうかと云ふことを、ちよつと疑問を持つのですからして、それだけのことをちよつと申上げて置きたいと思ふのであります、それから本當に最後ですが、第十一點と致しまして、本法は大變色々のことを規定して居りますけれども、併し其の生活の保護を受くべき状態にあるものなりや或は又其のものと直接の關係を持つて居ると云ふものが、此の生活保護行政のまあ違法とか或は不當とか云ふ状況に於て行はれた場合に、何等それに付て行政上救濟を申出ることが出來ない、生活保護をせぬと斯う云つたやうな時には泣寢入になつてしまふと云ふことに本法ではなつて居りますが、是は一體どう云ふものであらうか、矢張り私は初に申上げましたやうに、是は社會正義を國家が實現する爲の國家の責任たる行政と思ひまするから、さう云ふ行政が妥當に行はれないと云ふことに付きましては、即ち其の者及びそれと關係ある所の者は國家に對して其の行政を妥當に行ふべしと云ふ要求をなし得ると云ふのが根本の思想でなければならぬと思ひます、それは即ち惠むとか恩惠とか仁とか云ふことではない、それでありますから其の點に付きまして、何とか本法又は本法に基いて定めらるべき處の他の規定に依つて、違法なり不當なりに取扱はれた者は、それに付て何等か行政上の救濟を求め得ると云ふやうなことに致したらどうかと思ひますが、それに付きまして政府の方々の御意見でも伺へれば、大變結構だと思ひます、私は十一點も掲げまして大變長く質問の時間を取りまして、政府の方方は勿論のこと、他の委員諸君に御迷惑を掛けましたかと思ひますけれども、實はもつと研究すればもつとあるかと思ひます、私はつい二・三日前見たのでありますけれども、ちよつと氣の付いたことを申上げました、大體に於ては私は贊成ですが、之を完全なものにしたいと云ふ爲に今の點を申上げたのであります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=10
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011・河合良成
○國務大臣(河合良成君) 御答へ致します、只今佐々木博士から色々御質問がありまして、私共此の法律の將來の運用に付て幾多の示唆を得たことを厚く御禮を申上げる次第であります、御尋の點を私の答へられる範圍に於て御答へ致しまして、及ばぬ所は政府委員から御答を申上げることに致します、第一點の基本的理念の問題でありまするが、是はもう御説の通り、社會正義の觀念から「スタート」しまして、國家の責任なりと云ふ考で居ります、唯時々人道上とか、或は運用上に付て、先程御指摘の民生委員會の仁惠とか仁愛の請神とか云ふことの出ます譯は、是は申す迄もなく、此の民主的國家の目標として居りまするのは個人の完成であり、個人生活の保障でありますが、さうすればそれに對して國家が責任を持つと云ふ意味に於ては是は當然のことであります、が何故國家がさう云ふ責任を持つかと云ふことの根本に又遡って見ますると、國家と云ふものは個人を完成する爲にやつて居るのであるから、それは理念の上に於て當然ですけれども、さう云ふ國家制度が其處へ向はなければならぬと云ふことは、人間の心の中にありまする所の人道的精神、仁惠とか仁愛とか云ふものの響きからそれが起きて來るのだと私は思ひます、其の一番大物がぴかりぴかりと光が出るのだと云ふ風に御考へ下さいまして、其の點は、法律的に申しますれば社會政策であり、社會問題であり、主として經濟問題である、さう云ふ風に解釋して居る次第であります、それから友愛と云ふ言葉、是は私も一度か申しました、主として申すのは商工大臣であります、友愛經濟と云ふことを頻りに言つて居りますので、其の御間違ひだと思ひます、私も一度何處かで申しました発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=11
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012・佐々木惣一
○佐々木惣一君 失敬しました、それは私が間違つて居りました発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=12
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013・河合良成
○國務大臣(河合良成君) それから第二番目の點の要保護者の範圍の問題でありまするが、是は矢張り御説の通り、現に生活をなし能はざる事實上の状態にある者を保護して行くのであります、それから此の法律には懶者とか素行不良の者とか或は浮浪兒のやうなものは入りませぬ、入りませぬが是は生活保護法として保護せぬと云ふだけのことでありまして、政府として斯う云ふものに對して矢張り保護すべき責任があると私は思つて居ります、其の施設に付きましては只今では不十分であります、是は劃期的に改めると云ふ考で居りまするが、何分まだ私は就任以來日がありませぬので、此の次の少くとも暮の議會には之に對する豫算を提案して、もつと根本的にやりたいと云ふ考で居ります、それから尚其の點と關聯致しまして第三の點は、今第三の點も申しましたが、扶養義務者のことでありますが、扶養義務者が扶養をなし得る状態にある時には、矢張り此の法律から省かれることになつて居りまするが、是は扶養をなし得ると云ふことは客觀的状況に於て其の扶養者が扶養をなし得る經濟状態にあると云ふことを意味して居るのであります、そこでなし得るに拘らずなさぬ場合等が起きまするから、それに對しまして、字句は稍稍狹い感がありまするけれども、「急迫した事情」と云ふ風に例外を設けて居る次第であります、次に第四番目の問題でありますが、平等に保護すると云ふことが第一條に出て居りますが、是は憲法第十三條に於きまして「すべて國民は、法の下に平等であつて、人種、信條、性別、社會的身分又は門地により、政治的、經濟的又は社會的關係において、差別を受けない」とありまするが、其の、法の下に於ての平等と云ふ意味と全く同じ意味に使つて居ると思ひます、と申すのは結局差別的優先的に取扱はないと云ふことが又其の裏から行つた形でありまして、事實に即して申上げますれば、日本の今迄のやり方は母子保護法に依つて母子を保護する、或は戰災者は戰災者の方で保護する、傷痍軍人は傷痍軍人、遣家族に付ては遣家族、或は引揚者に付ては引揚者と云ふ縱の方を取つて居りました、是は今迄の沿革上已むを得ぬ點もあつたと思ひまするが、色々のことが起きて來るに應じてやつて行つたやうなことでありまして、其の爲に落ちる人が色々出來て來たと云ふことになつて居ります、それを主に司令部の方の指圖に依りまして、皆平等に取扱へ、結局横に線を引きまして、さうしてどうしてもやれぬ人は悉く扶けて行く、それは「デモクラティック」のやり方だと云ふ風な指示も受けて居ります、政府に於ても勿論さうなりと信じまして、さう云ふ意味に於てやつて居るのであります、そこで其の平等と云ふことは然らばどう云ふ意味かと云ふことになりますと、今憲法の平等と同樣だと申しましたが、保護を受くべき者全體に付て保護を受くることに付て平等の「チャンス」を得ると云ふやうな意味でありまして、其の保護自體が悉く同一の三百圓なら三百圓であると云ふ意味ではありませぬ、それは非常に困つた人には三百圓以上も出さう、又さう迄要らぬ方には三百圓以内で濟まさうではないか、大都會では三百圓も要らうが、地方ではさうも要るまいと云ふやうな意味で、此の點は實情に應じて凸凹があると思ひますが、それでも矢張り法の上に於ては平等なりと云ふ意味の平等と御承知を願ひたいと思ひます、それから第五點は、第十條、此の「生活に必要な限度」と云ふことに付ての御質問でありまするが、是は「生活に必要な限度」と云ふのは、最底生活と云ふ風に考へて居ります、それで最底生活とは何ぞやと云ふ問題は、是はもう御承知の通りに、非常に困難な問題で、「ミニマム・オブ・イグヂスタンス」と云ふやうな意味になりますが、大體矢張り衣食住を一番骨子にして居ります、さうしてそこは矢張り「カロリー」の計算を骨子にして居る、其の「カロリー」は困つた家庭、殊に三十一歳の寡婦が六十歳の親を持ち、六歳、三歳、一歳の子供を持つたと云ふ家族、世帶を想像すると致しまして、其の世帶がやつて行ける主要食糧の「カロリー」を數へまして、それを公定價格に直したものが大體の骨組になつて居ります、併しながらそれだけでなく、衣もあれば住もありまするし、光熱費の如きも多少考へまして、さうして文化的と申しまするか、精神的と申しまするか、其の方面に付ては普通教育と云ふ所迄は考へて算盤に入れて居ります、併しながら保護施設と云ふやうな問題に對しまして、それ以外に慰安とか、教養とか云ふものを絶無にするかと云ふ御質問に付ては、決してさう云ふ風に局限されたものでない、保護施設の如きは常識的に考へて、矢張り相當精神的、文化的の氣持を持たすべきものだと云ふ考で居りまするが、法律に依つて、最底生活としてそれを出すには、今申した文化的の分子は餘り算盤に入れて居ない、國民學校だけは入れて居る、そこへ算盤を置いてある、さう云ふ風に御承知を願へれば宜いと思ひます、それから第六の點は、行政の主體の問題でありましたが、是は第一條に明記してありまする通り、國が保護すると云ふ建前になつて居りまして、此の行政の主體は飽く迄國家であります、そこで市町村は此の機關としてやつて行くと云ふ風に解釋して居ります、國の機關としての市町村と云ふ風に自然に解釋がなると思ひます、どうぞさう云ふことに御承知を願ひたいと思ひます、それから第七番目の保護施設の問題でありまするが、是は國家が自ら施設をやるか、やらないかと云ふ御質問が主でありましたが、此の法律には國が自らやることは豫想して居りませぬ、何故だと申しますと、是は深い考と云ふ程のこともないと思ひまするが、大體是は地方的の行政……行政の實際的の運用を主にして居ります、それで責任は國家が持ち、國家行政であるけれども、それを市町村長をして行はしめると云ふことになつて居りまするから、其の行ふ爲の重要施設である保護施設と云ふものは、矢張り自然市町村が本位になる、或は市町村の保護を受けて行ふものだから市町村が本位なりと云ふ形を執つた譯であります、併しながら此の法律では豫想して居りませぬけれども、國が自らさう云ふことをやることを妨げると云ふ意味は少しも持ちませぬ、それから私人の保護施設が生活保護法を施行することに限定するか、或はそれに限定しないで、一般の社會事業などにも役立つと云ふやうなものを加味したものでも宜しいかと云ふやうな風に御質問の御趣旨を受取りましたのですが、是は第二で宜しいのだと思ひます、併しながら此の法律の要保護者を入れると云ふことになる爲にはそれの目的に合ふ設備を持たなくちやならぬ必要上、一つの基準もありませうから、それに依つて地方長官の認可を受けると云ふ風のことが自然にそこに發生して來るのであると云ふ風に私は考へて居ります、さうしますると、從つて委託を拒むことを得ずと云ふのは御話の通りに矢張り強過ぎるやうな感じも致しますけれども、何と言つても四分の三位の補助を出して、さうして其の目的に適ふやうに拵へてあることでありまするから、さうだから其の補助との交換條件と云ふと、少し言ひ過ぎた感がありまするけれども、實際上四分の三與へるから、いざ人を入れて呉れと云ふ時に入れて貰はぬと困るぞと云ふ意味は、經濟的な意味を多分に入れた考であると考へます、第八の點は費用の負擔の點でありまするが、是は國家の行政でありまするから、國家が責任を持つと云ふことが大體の建前でありまするが、地方の事情にも應じてやると云ふ地方的性質を持つたものであると云ふ意味に於て、地方に於ても幾分か經費を負擔すると云ふ建前になつて居る譯であります、併しながら其の地方の費用も此の間の全體の説明に申上げませぬでしたが分與税、之を政府が國庫から地方に與へることになつて居りまして、唯地方の實情に合はせる爲に、分與税と云ふ一つの「スクリーン」に掛けたものをやつた方が……分與税を與へて「スクリーン」に掛けさしてやつた方が宜いと云ふ意味に於て分與税をやつて居る譯であります、さうして其の性質は補助でなくて償還と云ふやうな御趣旨でありましたが、其の點に付ては御尤もな點も私はあるとも存ずるのでありますが、法律の建前としまして、今迄の慣行上、地方と中央との關係は皆補助と云ふ形になつて居りまするので、そこ迄理論的に徹底した新らしい途を講じなかつたと云ふ風に御考へ下されば結構ぢやないかと思ひます、それから私人の補助と云ふことになりますると、是は先程申しました通り、必ずしも此の法律施行の爲ばかりの目的でないと云ふことになりますれば、私人に對しては矢張り補助と云ふことで宜いのではないか、さう云ふ風に私は考へます、或は間違つて居りしたら政府委員から説明し直させます、それから第九の此の法律の施行乃至運用のことに付ての御質問でありましたが、是は矢張り當然國の責任としてやることになりますれば向ふの申請を待つてこちらで動くと云ふ性質のものではなからうと思ひます、併しながら斯う云ふ非常に何百萬と云ふ問題を取扱ふ場合に於て、矢張り便宜上申出をさせなくちや、實際それを「ピック・アップ」出來ぬと云ふやうな、行政上實際のことがあるだらうと豫想致しまするから、此の法の運用の命令其の他に於てどう云ふ形を採るかと云ふことはまだ私は豫想して居りませぬ、併しながら或は申出と云ふやうな形を執らなくちやならぬのぢやないかと云ふやうな含みを持つて居りますが、併しながらそれに依つて其の根本が崩れると云ふ風には考へて居りませぬ、それから運用のことに付きましては、是はもう御指摘の通りに、運用に當る者の人柄とか熊度、又其の人の本當の心と云ふものは、魂と云ふものは非常に重大な働きをして行くことは、是は言ふ迄もありませぬ、此の運用を過れば何にもならぬ殊に今の日本の官界の實情に於きましてはさう云ふ點に對して私は多分の危惧を持つて居るのであります、併しながら何とかしてうまくやつて行かなくちやならぬのでありまして、先日私は地方の厚生行政に當つて居る者が三百人ばかり寄りました時も、人間として此の廣い世の中に、長い月日の間に斯う云ふ事業を行ふと云ふ時に生れ合せたと云ふことはまるっきり盲龜の浮木の譬にも洩れぬものであります、是は人生として全く光悦を感じてやるべき仕事である、其の決心でやらぬといかぬと云ふ心構へも私共は絶えず申して居る次第でありまするが、此の點に付きましては、御話の通り社會正義の觀念に立つてやらなくちやならぬことは問題はないと思ふ、併しながら先程申しました矢張り人道的と申しまするか、さう云ふ矢張り道として是は持たなくちやならぬと云ふ風に私共考へて、其の運用の責に當る積りで居ります、それから其の次に尚民生委員のことに付ての御質問がありましたが、是も隣組長とか町會長と民生委員との關係と云ふものは非常に微妙なものであります、と申して之を町會長に一任して、町會長を民主委員とすることも出來ないので、此の點は非常に苦勞して居る問題でありまするが、大體此の町會、隣組の制度と云ふのは經濟上の問題、配給とか貯蓄とか云ふ問題から大體起きた問題でありまして、斯う云ふやうな社會制度と申しますか、もう少し古く申せば隣保精神とか共助と云ふ者と相當通ずるものはあるのであります、隣保共助と申しますると大分是と近寄つて參りますけれども、今の御話の一つの社會正義を行ふのだと云ふ大きな見地に立つと、隣組と大分離れて來る點もありまするので、町會、隣組に一任してやると云ふ譯にもいきませぬ、そこに惱みを持つて居りますが、段々研究を致しまして、斯う云ふ點の調和を圖って行くと云ふ以外に途はないと考へて居ります、尚又之に對する反感として、或は如何にも羞恥を感ずると云ふやうな問題に付きましても、是は御承知の通りの長い間の慣行等もあることでありますから、斯う云ふ點に付きましては、段々直して行くべきでありまするが、と言ふて義務である以上は國民の權利ではありませうけれども、他人の權利を尊重しないで自分の權利ばかりを尊重するやうな風の慣習を助長させても困る、そこらは矢張り謙虚な態度で行かなければならぬだらうと云ふ點に付て、希望も惱みも持つて居るやうな次第であります、それから第十は扶養義務者の地位の問題でありますが、扶養義務者の扶養義務の履行と國家の責任との間に関聯を置くと云ふことに對する御質問でありまして、理論の上に於ては正しくさう云ふ點に於て多少の撞著を感ずるものであります、併しながら是は矢張りものの移り變りに於て已むを得ぬのぢやないか、目標は前途にありまして、我々は此の目標に向って社會保障制度に前進しなければならぬと云ふことは疑ひありませぬけれども、今の時代から其の目的に達しまする橋を通って行かなくちやならぬのでありまして、そこで斯う云ふ問題が起るのぢやないか、矢張り是は家族主義と申しますか、或は從來の慣行と申しますか、それと將來の「デモクラシー」に進む道の行き途の問題であると云ふ風に私共は感じて居るのでありまして、先づ是れ位のことは今の法律に於て「グレース」を以て見なければならぬのぢやないかと云ふ位の感じを持つて居ります、從つてそれは公法上の義務かどうかと云ふ問題に付ても、自然さう云ふ風に御考へ下されば分ると思ひますそれから第十一は、是は國家の責任である以上は、國家が責任を履行せざる場合に於て、其の要保護者に當る者から行政上の救濟を求める必要があるかと云ふことでありまするが、是も今申したことと同樣でありまして、理論としては私はさう云ふことは矢張りあり得る、又法律に規定するやうな事態も出來て來るのぢやないかと思ひますが、又一面に於きまして、問題が極く法律問題としての内容が小さいと云ふやうな考から、或は社會の輿論と云ふものに依つて之を裁いて行くのが一つぢやないか、先づ事柄の性質上非常に社會に廣く分布して居る、さうして其の救濟の目的を求めるとしまして、個人的利害に於ては、或は生活保障と云ふことに於ては、非常に深刻な問題でありますけれども、權利の内容自體の經濟的の問題としては大きな問題ではないと云ふやうな點に付て、經濟的救濟を求めると云ふことよりも、寧ろ國家の義務に對する一つの責任、國家がさう云ふことをやらぬと云ふことに對する救濟でありまするから、或は社會的の救濟、輿論の救濟と云ふやうなことが、一番今適當に行くんではなからうか、矢張り經過的にはさう云ふことを考へなければならぬのぢやないかと云ふ風に考へます、甚だ至らぬ所があるかと思ひまするが、重ねて御質問がありますれば、又政府委員から御答へ致させます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=13
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014・高木喜寛
○委員長(男爵高木喜寛君) 佐々木君に申上げますが、先程から豫算總會から大臣の出席を求められて居りますので、大臣は御退席になりますが……発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=14
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015・佐々木惣一
○佐々木惣一君 私の長い質問に對して、大臣自ら多數の點に付て、而も分けて御答辯下さいまして、誠に有難うございました、是れ以上は、質問と云ふよりも意見の交換でありまするから、私は答辯としては滿足して、是れ以上は申上げませぬ、唯私が御斷り申上げたいのは、大臣が友愛と云ふことを屡屡仰しゃつたと云ふことは、それは全く私の誤りであります、是は明かに私の誤りだと取消して置きます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=15
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016・高木喜寛
○委員長(男爵高木喜寛君) 他に御質疑はございませぬか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=16
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017・小山松吉
○小山松吉君 十一條に、勅令を以て之を定めるとありますが、此の勅令の内容が既に御分りになつて居るならば、資料として御提出願ひたいと思ひます、それから現行救護法の條文も、研究する爲に拜見したいと思ひます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=17
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018・葛西嘉資
○政府委員(葛西嘉資君) 只今未だ議會の御協贊を經ないことでありまするから、確定と申しますか、省議で纏ったものではなく、唯私共の手許で大體斯んな風にしたらどうかと云ふやうな要綱的なものならばございますが、さう云ふ程度のもので宜しうございますか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=18
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019・小山松吉
○小山松吉君 要綱程度のもので結構です発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=19
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020・原泰一
○原泰一君 今日は時間がありませぬから、次の機會に伺ひますが、唯ちよつと皆樣に御諮り願つて、出來ればさう云ふことに願ひたいと思ひますことは、衆議院の諸君が審議の關係で、市内の要援護者の状況とか、それを援護して居る方面委員のやつて居る所などを視察されたやうでありますが、衆議院の諸君は非常に差迫つて遲くなつてからやられたものでありますから、審議にどれだけの效果があつたか、其の點に付ては效果がなかつたのではないかと思ひますが、成るべく早い機會に市内の主な所、又方面委員の實際やつて居る状況、要援護者の氣持と云ふやうなものを皆さんでおいでを願つて見て戴いたり、聞いて戴くやうな機會を御作り願つたら如何かと思ひます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=20
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021・高木喜寛
○委員長(男爵高木喜寛君) 如何でございますか
〔「贊成」と呼ふ者あり〕発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=21
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022・小山松吉
○小山松吉君 場所は幾つ位ですか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=22
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023・榊原政春
○子爵榊原政春君 何でも四、五箇所です、朝十時に「バス」で出て何處かで簡單な辨當を使つて、夕方迄皆さんに御苦勞を願つたさうであります、其の報告を聞きまして、早くさう云ふことをやつて戴きますれば、御互に質問をしますのにも非常に樣子が分つて宜いのぢやないかと云ふやうな氣がするのです、朝十時頃何處か場所を御指定願つて其所に集る、一つ都の方にでも御相談下さつて……発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=23
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024・葛西嘉資
○政府委員(葛西嘉資君) 私の方から……発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=24
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025・榊原政春
○子爵榊原政春君 本案の對象になつて居ります重要な部分に付きまして、復員軍人とか引揚同胞の問題があると思ひますので、一つ其の状況なり、保護に對する政府の施策なりを關係官廳、復員廳或は厚生省の關係官の方から御出席願つて承りたいと思ひます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=25
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026・高木喜寛
○委員長(男爵高木喜寛君) 他に何か御質疑はございませぬか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=26
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027・木内四郎
○木内四郎君 極く簡單なことでありますから……此の間御配付を願つた第三の表にあります三十億圓の内譯ですが、第一欄の五に補助費を擧げてありますが、此の補助費の内に一、生活保護費補助、二、社會救濟事業費補助、此の二つに分けてありますが、此の三十億圓の經費を第十一條の生活扶助、醫療、助産、生業扶助、葬祭扶助、此の五つに縱に割つたらどんな金額になることになつて居りませうか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=27
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028・葛西嘉資
○政府委員(葛西嘉資君) 御答へ申上げます、生活保護法の施行の金高の點をちよっと國庫補助の分に付て申上げて見ますと、是は御承知のやうに細かい區分でございますので、流用も出來まするし、殊に衆議院等に於きまして生業援護と云ふものにうんと力を入れなければいかぬと云ふ希望もありまして、私共も豫て是非さうしなくちやいかぬ、殊に此の前の救護法等と違ひまして、働き得る對象が非常に此の保護の對象になつて居りますので、さう云ふ點から生業扶助等に付きましては一應今豫定して居るものよりもずっと増して實行したいと云ふ風に大藏省部内とも相談して居ります、一應其の内容を申上げますと、國庫補助として、生活扶助の方が二十二億千二百萬餘圓、醫療補助の方が二億四千五百萬餘圓、助産補助が百三十萬餘圓、生業扶助が三千六百萬餘圓、葬祭扶助が九百萬餘圓と云ふやうなことになって居ります、是は年額の豫定でございます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=28
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029・木内四郎
○木内四郎君 今仰しやつたやうに、是は一應當初の御計畫で、今後衆議院等の意嚮を御參酌になつたり、或は當委員會の是からの色々の希望或は意見なりを參酌されて相當に内容が變はるものと承知して宜しうございますか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=29
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030・葛西嘉資
○政府委員(葛西嘉資君) 其の通りでございます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=30
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031・高木喜寛
○委員長(男爵高木喜寛君) 他に御質疑はございませぬか、それでは本日は此の程度に於て散會致したいと思ひます、尚本日午後も開く積りでありましたけれども、政府の都合でどうしても出來ないさうでありますので、明朝十時から開會致したいと思ひます、左樣御承知を願ひます
午前十一時五十五分散會発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=31
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032・会議録情報3
出席者左の如し
委員長 男爵 高木喜寛君
副委員長 子爵 京極高鋭君
委員
侯爵 黒田長禮君
伯爵 前田利男君
子爵 北小路三郎君
子爵 安藤信昭君
子爵 榊原政春君
小山松吉君
佐々木惣一君
男爵 奧田剛郎君
男爵 團伊能君
男爵 小原謙太郎君
原泰一君
長谷川萬次郎君
野田六左衞門君
板谷順助君
木内四郎君
江口文雄君
正田貞一郎君
中山壽彦君
國務大臣
厚生大臣 河合良成君
政府委員
厚生參與官 佐藤久雄君
厚生事務官 葛西嘉資君発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009001906X00219460823&spkNum=32
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