1. 会議録本文
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000・会議録情報
付託議案
○帝國憲法改正案発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=0
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001・会議録情報2
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昭和二十一年九月十日(火曜日)午前十時九分開會発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=1
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002・安倍能成
○委員長(安倍能成君) それでは會議を開きます、昨日牧野さんから前文に付て精細な字句に關する御質疑があつたのでございます、是は内容にも關係することであつて、相當重要なことであると云ふことは認めますけれども、斯う云ふ風にしてやつて行きますと、議事の進行上多少差支がありはしないかと云ふ虞もありますから、それで字句に付て御意見のある方は文書にしてそれを差出して戴いて、それを印刷して皆さんに御廻ししてそれから一括して後の仕上の時に十分討議する、斯う云ふことにしたら宜からうと云ふ世話人の御意見であつたのですが、御差支ありませぬか
〔「異議なし」と呼ふ者あり〕発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=2
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003・牧野英一
○牧野英一君 字句の問題の外にそれが内容に重要な關係を持つて居ると云ふ點は一應皆樣の御考を伺ふ爲に此の席上の問題にする所の御許を願ひたいと思ひますが、如何ですか、單純と申しましては濟みませぬが、例へば昨日申上げましたやうなことは以下之に同じで行きますが、例へば第一章に付て申しますると、天皇の憲法上の地位と關聯するやうな實體上の關聯のあるものは御許を願ひます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=3
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004・安倍能成
○委員長(安倍能成君) では長谷川委員昨日の前文の續きであります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=4
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005・長谷川萬次郎
○長谷川萬次郎君 前文の前の方の色々字句の問題等に於て質問があつたのですけれども、此の前皆さんの御質問に依つて大體了解されましたので略しますが、後半の方の終ひから二番目の項でありますが、「われらは、いづれの國家も、自國のことのみに專念して他國を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、云々」とありますが、どうも之を讀んで見ると少しをかしいのですが、それは自國のことのみに專念して他國を無視すると云ふのは、是は此の憲法を出さない前の、此の憲法草案の作られない前の、詰り終戰以前の我が國の態度であつたと思ふのです、自國のことのみに專念して他國を無視すると云ふことは、それを飜して斯う云ふ憲法が作られた譯であります、自國のことのみに專念して他國を無視すると云ふことは問題にならない、それを愈愈憲法で斯う云ふ風に持つて來る理由が分らないと思つたのですが、英譯の方を見ますと云ふと、自分自身に對して責任があるのみでない、如何なる人民も自分自身に對してのみ責任があるのぢやない、詰り政治的の「モラリティ」と云ふものは「ユニバーサル」の「ロー」であるから、それに如何なる國民も從はなければならぬ、斯う云ふ風に譯されて居りますが、是は誤譯かも知れませぬが、此の誤譯の方が意味が徹底すると思ふ、詰り我が國は自國のことのみに專念して他國を無視したと云ふ態度を改める爲此の憲法を作るのでありますが、此の憲法に於きましては一歩を進めまして、自國民に對する責任のみではなく世界の政治道徳に對する責任を持たなければならぬと云ふ風に規定してこそ此の前文の意味に適ふと思ふのです、既に改正した、昔の法則を持つて來て斯う云ふ風に、昔の態度に對することをここに持つて來るよりは一歩進んで譯文にあるやうな、自國の人民に對してのみ責任を持つものでないと云ふ所から、唯自國を前の封建的な體制を改めてさうして平和の國にしたと云ふことは、自國民に對しての責任はそれで果されるかも知れませぬが、如何なる人民も、さう云ふ點だけではいけない、詰り世界に對する責任を感じて居なければいけないと云ふ所に一歩を進めたのが此の所の意味であつて然るべきだと思ひますが、さうなつて居らないのであります、どうして斯う云ふ風な書方になつたかと云ふことを推測して見ますると、どうも我が國が詰りここに書いてあるやうな自國のことのみに專念して他國を無視すると云ふやうな態度の爲に斯くの如く破れた、然らば其の以上にどう云ふ發展をすべきであるかと云ふ認識の不足だらうと思ふのでありますが、第一の認識の不足は斯う云ふ戰爭を起したと云ふことに對する責任感の不足だらうと思ふ、第二の不足は、更にさう云ふ責任を持つものに代る、さう云ふ責任のあるなしに拘らず、世界國家の責任で、「ポリティカル・モラリティ」と云ふものに對する責任を持つと云ふことは、如何なる國民に取つても譯文にあるやうに、如何なる國民に對してもさうなければならぬ、さう云ふ第二段の責任を感ずる譯である、併し第二段の責任迄進み得なかつたのは、第一段の責任の自國の起した戰爭に付ての責任を此の憲法の起草者なり國民の多數なりが適切に感じて居らぬことだと思ふ、詰り戰爭を起したのは今戰犯其の他で被告となり追放の對象となつて居る人々である、我々は其の後を引受けて日本の國家を建直すのだと云ふ風な考であるのぢやないかと思ふ、勿論今働いて居られる方は戰時中、戰前に於きましても斯う云ふ戰爭の起ることには反對された方が多い、戰時中に於きましてもそれは國民として敗けてはならぬと云ふ所で協力はしましたが、其の程度の協力でありまして、決して戰爭を肯定しての協力ではなかつた、今現に働いて居る方々は政府の方々を初め民間の人々と言ひ皆さうである、其の結果、何か自分だけは責任のないやうな氣持を皆持つに至つて居るだらうと思ふ、ちよつと市中で話を聽きましても、何か戰爭は外の者がやつて俺達は關係しなかつた、引摺り込まれたのであると云ふ風に唯感じて居るらしい、恐らく政府當局もさう云ふ御考である所から斯う云ふ文句を思はず挿入して、さうして其の先一歩進めた、常識で考へて一歩進むべきものと云ふ、此の文章を譯する者がさう云ふ誤譯をする程それは常識のことであります、さう云ふ常識的のことも忘れる位國民としての責任と云ふものを感じなかつたと云ふことではなかつたらうかと思ふのであります、此の點に付きましては、更に戰爭抛棄の條項に對する場合に政府當局の御答を得ようと考へて居りますが、此の前文に於きましては、どう云ふ意味で日本の國家が唯、今迄の態度をしてはならないと云ふことを避けて、さうして是等の目的を掲げることをしなかつかと云ふことに付て御答を得たいと思ひます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=5
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006・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 長谷川委員の御質疑の點は少し聽き落した點があるかも知れませぬが、「われらは、いづれの國家も」と云ふ所からの此の文章は、客觀的に眞理を言ひ現すと云ふ態度を採つて居りまして、日本がどう云ふ間違をしたか、之に對する自ら償ふ所の念慮が如何に厚いかと云ふことをはつきりここには言ひ現して居りませぬ、唯一般的な態度を採つて、斯く々々のことが正しいと思ふ、それで斯く々々することが各國の責務であらう、斯う客觀描寫をして居ります、併し斯樣な風にものを言ひ現します根柢に於て、此の憲法全體が自らを反省して日本國民が本當に目醒むべきであり、其の目醒むべき段階を通り越え、目醒めて居ると云ふことを基本として書いて居りまする所以でありまして、英譯と違つて居るとか仰せになりましたが、左樣な所に特別な差はないものと心得て居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=6
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007・長谷川萬次郎
○長谷川萬次郎君 只今の御答辯は私の質問する所とは少し外れて居るやうに思はれますが、詰り此の憲法は私共としては懺悔の憲法ではないのでありまして、もつと前進的のものだらうと思ふのです、全體がさう云ふ構成になつて居りまして、唯消極的に何々してはならぬと云ふやうなことではなく、寧ろ進んで斯うしなければならぬと云ふことを詰り主に規定して居られると思ふのであります、其の意味から申しますと、無論此の文句を入れたことが惡いと私は申したのではなく、一歩前進すると云ふ此の憲法の精神から當然入るべく、如何なる國家も世界に對して責任を負ふ所の其の責任をどうして御入れにならなかつたかと云ふことを御尋ねしたのでありますが、若し氣付かれなかつたのならばさう云ふ文句を御入れになつてはどうか、御入れになるには不贊成であるかと云ふことに付て御答辯を得たいと思ひます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=7
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008・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 仰せは能く分りました、此の憲法自身の建前が兎もあれ日本の再興と云ふことに立場を置きまして、比較的謙抑なる態度を執つて居りまするが故に、日本以外の國を明かに茲に引出して、それに強く或義務を負はせるやうな風の規定を避けた譯でありまして、常に日本を中心とすると云ふ考の範圍に言葉を限定致しまして、日本の現在ある國際的な地位にも相應しき形を執らう、斯う云ふ風の考を以ちまして、從つて積極性が十分でないと云ふ御趣旨も起り得る譯でありまするが、考へ方自體は左樣なことで出來て居る譯でございます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=8
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009・長谷川萬次郎
○長谷川萬次郎君 さう致しますると、「いづれの國家も」と云ふことを御削りになつた方がいいと考へまするが、如何でありますか、削られた方があなたの御趣旨に適するのぢやありませぬか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=9
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010・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 徹底をすれば左樣な考へ方も理由が成立つものと考へて居りまするが、ここでは謙抑なる姿を以て我らは斯く信ずると云ふ大きな前提の下に一つの普遍的な原理と考ふるものを此の程度に於て立證して居る次第でありまするから、そこ迄論理を徹底させなくともいいのではないかと考へて居る次第であります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=10
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011・長谷川萬次郎
○長谷川萬次郎君 併し「いづれの國家も」と云ふ言葉がある以上は、斯う云ふ消極的なものばかりでなく、矢張り進んで此の憲法の趣旨に適ふ所の世界に對する國家の責任と云ふものを明かに言はれた方がいいと思ひますが、斯う云ふ問答を何時迄繰返して居つても駄目ですから、私の質問は此の點に關しては打切ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=11
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012・安倍能成
○委員長(安倍能成君) 是で前文の質疑を終りまして、第一章に移る譯でありますが、第一章の質疑の仕方をどう云ふ風にしたら宜しうございますか、色々考へられます、逐條にずつと第一條第二條とやつた方が宜いと云ふ御説もありますけれども、相當皆關聯して居るやうなことで、關聯質問と云ふやうなことになりますと、折角逐條にしても、それだけの效果がない譯ですから、試みに第一章に付ては御申出の順序に從つて第一章全體に付て御審議をして戴く、さうして重複を出來るだけ避けて戴く、斯う云ふ風にやつて見たらどうかと思ひます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=12
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013・牧野英一
○牧野英一君 皆さんに先立つて質疑を申上げることを皆さんに對し恐縮に存じまする、各位の質疑を伺つた上で附屬的に私が申上げる方が宜かつたかと思つた位でございまするが、例に依つて細かい點に付て色々申上げて見たいことがございまするが、それは各條特に個別的のことに讓ると云ふことに致しまして、天皇の憲法上の地位に關する點に付て特に御伺ひ致したいと思ひまする、第一條、それから第三條、第四條、第七條、之に牽聯することでありまする、第一條に「象徴」と云ふ言葉のあることが前々から色々御議論になりましたが、段々當局の御説明をも伺ひ、御苦心の存する所を理解することになりました、私共と致しましては「象徴」と云ふ言葉よりももう少し強い言葉が願はしいので、例へば元首と云ふ言葉を用ひたらどうかと云ふことを考へるのであります
〔「聞えませぬ」と呼ふ者あり〕発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=13
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014・牧野英一
○牧野英一君 高柳委員より細かい點に亙つての…
〔「聞えませぬ」と呼ふ者あり〕発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=14
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015・安倍能成
○委員長(安倍能成君) もう少し大きい聲で御願ひ致します発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=15
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016・牧野英一
○牧野英一君 高柳委員より細かい點に亙つての懇切な質疑がありまして、天皇は結局元首である、其の實體に於て元首であると云ふことに付ては金森國務相に於ても御異論がなかつたやうに伺ひました、そこで私としては「元首」と云ふ言葉を御用ひ下さることを希望するのでございまするけれども、此の點は尚委員各位の御考慮を仰ぐことに致しまして、せめて此の二つの象徴と云ふ文字、それの後の方を國民統合の「中心」と云ふやうな言葉を用ひることに願はれますまいか、此の「中心」と云ふ言葉を用ひますると云ふと、少し強味が着きまする、そこに結局問題がありませうが、それに依つて恐らくは國民全般としては少くとも多少、より滿足すると云ふやうなことがありますまいか、それが第三條に直接に響いて參ります、第三條には「天皇の國事に關するすべての行爲には、内閣の助言と承認を必要と」すると云ふことになつて居りまする、助言と承認と云ふ言葉が天皇の憲法上の地位を示す言葉として、我々が希望し理解して居る所とどうも相距たるものがあるやうに思ふのであります、是も當局の御苦心のことを十分拜察しない譯ではござりませぬが、我我としては矢張り天皇を象徴とし中心とし、元首として奉つて居ると云ふ考があるものでござりまするから、「助言」と云ふやうな言葉では、さも内閣の方が天皇よりも上に位するやうに、況んや「承認」と云ふ言葉になりますると、他の例では國會が内閣の行爲を承認すると云ふ言葉が草案に三所現れて居ると思ひまするが、如何にも物足りない心持があるのであります、是は何とか御考へ直しを願ふ餘地がないものでせうか、私としては過日「助言」に代へるのに「進言」と云ふ言葉を以てしたらどうかと云ふことを申出ました次第でありまするが、「承認」に付ては今日尚私としての成案を得ませぬけれども、少くとも國會が内閣に對する承認の場合とは言葉を異にすると云ふことに依つて、其處に色合を着けて戴くと云ふ餘地がないものでございませうか、さう云ふ心持は更に第四條に及びまするので、「天皇は、この憲法の定める國務のみを行ひ、政治に關する權能を有しない」、趣旨は能く私理解出來ると思ひます、けれども、どうも「のみ」と云ふ言葉、「權能を有しない」と云ふ言葉、是はどうも我々國民が天皇に對して持つて居る感じを現す用語ではないと思ふのであります、私の試案と致しましては、「天皇はこの憲法に依つて國事に關する行爲を行ひ、國政に關與しない」斯う云ふ風に「のみ」と云ふ言葉を省き、有しないと言ふ言葉を關與しないと云ふ風に、權能を有しないと云ふ言葉を關與しないと云ふ位に變へることに依つて感じを新たにすることが出來ないかと思ふのであります、それが直ちに第七條に響いて參りまするので、第七條に於ては同じく助言、承認を受ける規定になつて居りまするが、此の中味を段々考へ合せますると云ふと、高柳委員より細かに御話になつた通り、何處迄も國家の元首たる地位を明かにしたものであります、殊に此の中では私の疑を持つて居りまするのは、衆議院の解散のことでありまして、解散のことは内閣の方には直接の明文にはないかと心得て居ります、第六十一條以降す第五章の内閣の所に解散に付ての特別な規定はないやうに思ひまする、固より進言と承認とに依つて天皇の行はせらるる行爲に屬するのでありまするけれども、矢張り解散をすること、解散の内容を茲に表してありまするので、解散を認證するのでもなければ、宣言するのでもない、解散其のものが天皇の權能の中に入つて居ると云ふことになりまする、斯樣に考へまして、天皇の憲法上の地位を少くとも先づ第一には内閣に對しもう少し高められたこと、高まつたものであると云ふことを明かにすることの心遣ひをしたらばどう云ふものであらうかと思ふのであります、結局是等の用語に依つて、將來憲法を理解する者が我々の國民生活の中心たる天皇を餘りに低く見ると云ふことになりはしないでござりませうか、國會が最高の機關であると云ふこと迄に手を加へる御積りではございませぬけれども、天皇に對する言葉遣ひ、從つて憲法上の地位に付てはもう少し加減をすることが如何かと思ふのでありまするが、是が當局には尚私の思ひ寄らぬ御考も御ありになることと思ひまするから御釋明を願ひたうございます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=16
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017・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 牧野委員から第一章の天皇に關しまする色々な文字の點に付きまして御教へを戴きました、仰せの通りの考へ方を中心として説明をするものとすれば、牧野委員の仰せになることは全部左樣であるべきであると云ふ結論が導かれ得るものと考へて居ります、併し不幸にして私は極力此の點に付きまして、原案を御主張申上げなければならないと云ふ、私としては誠に牧野委員に對して心苦しき立場に立つ次第でございます、最初に御質問の順序に從つて申しまするが、初め牧野委員は私が高柳委員に對して元首と云ふ言葉の御質問に對して、大體元首と考ふることに異論なきが如き答をしたと云ふ風に御述になりましたが、是は稍稍言葉の上に於きまして簡單には考へられない所でありまして、私は其の時に言葉を使ひまする上に相當用意をして御答をしたと思ひますが、決して天皇が元首であると申しだ譯ではありませぬ、一口に言へば國際關係の儀禮の上に於て元首の如く扱はれて行くことになるであらうと云ふことを申上げたのでありまして、天皇を直ちに元首と云ふ言葉を以て無條件に言ひ現すことに於きましては、明かに條件のあることを申上げて置いた積りであります、それを條件と致しまして大體此の憲法の建前の根本を御説明を申上げなければなりませぬが、私共は激しい戰爭の經過を取りまして、諸般の點に於て隨分考を改めなければならない點がある譯であります、獨り是は日本だけの立場をのみ最高の原理として考へ得べきものではなく、色々なる、普遍的なる立場に立ちつつ事物を考へて行かなければならぬと存じて居ります、過日來申上げて居りまするやうに、國民の基本的なる心持と云ふものは、是は法律の決める所ではないのであります、我々が生きて居る限り其の心が變らざる限り持つて居るのでありまするから、國體は儼として變る所なく存して、居ると云ふことは明かに申上げて居りまするけれども、其の上に建設さるべき政治機構の面に於きましては、日本が過去の色々な事實に依つて經驗致しました所を綜合して、又冷嚴なる眞理に相應しき、又國民に無用なる誤解をさせないやうに留意をして規定をして行かなければならぬと思ひまして、其の段階に於きまして此の憲法に用ひまする文字が或は不適當であると云ふ御考の出來る場面もございませう、併し不適當なる所も他の一面から見ますれば又適當なるものであると云ふ意味を持つて居るのでありまして、國民の誤解が其の言葉の綾に依つて或程度迄改善せられ得ると云ふことも考へられるのであります、其の趣旨に基いて憲法は幾多の文字の調節を圖つた譯でありまするが、第一條に於きまして象徴と云ふ言葉は牧野委員は一應御承認になつたやうでありまするが二つ目の象徴を日本國民の統合の中心であつてと云ふ風にしたいと云ふ御考でありました、其の根本に於て、國民結合の確かに精神的なる繋りの基であると云ふことを認められます、併し茲で考へて居りますのは、天皇を見れば日本國民が一つになつて居ると云ふ姿がはつきり直感的に指示し得られる、謂はば、表現的の意味に用ひました、或時、或意味に於ての表現と云ふ言葉が持つて居る意義に用ひられました象徴でありまして、其の基本の所迄踏込んで國民精神の中に迄分解して、之を規律する趣旨ではなかつたのであります、何故それを規律しないかと言へばそれは嘗ても申しましたやうに、斯樣な法律的制度の基盤に横はるものであつて、それを法律世界に持ち出すことに付ては諸般の立場からして考へ得べき理由があると信じたからであります、でありますが、私の言葉は甚だまづいのでありまして、御得心を得ることは出來ないかも知れませぬが、茲は靜かに天皇を外から仰ぎ見た場合に一つの法律上の地位を書き現すものとして御承認を願ふ譯であります、さうすれば中心と云ふことは、必要なる心持には規定の内容となるべきこととはなつて來なくて宜いのではなからうかと考へて居る次第であります、それから次に助言と承認の點に付きまして色色仰せになりました、其の言葉が誠に世俗一般に用ひられて居る言葉でありまするが故に、在來の考から天皇に對して當嵌るべき言葉としては、誠に感心な言葉ではないと云ふことは私共も心より了解して居ります、併しながら平易な言葉として申上げまするならば、矢張り此の言葉が適當ではなからうか、何故かと申しますれば、今後世襲の天皇として、且又無答責なる天皇として、而も國家の永久の政治の上に間違のないやうに行くべき立場であらせられまする爲に、どうしても一般立憲國家の君主制に伴つて居るやうな特殊な政治の御執り方でなければならぬ、從來とても恐らくは左樣であつたでありませう、私共は左樣であつたと信じて居りますけれども、世間の見る所は必ずしもさうではなかつた、何故かと言へば現憲法の文字で輔弼と云ふやうな古い支那の含蓄のある特殊な感じのある文字を使つて、又之に對する説明の仕方が何となく十分でない爲に、天皇神聖説迄も生み出した結果と信じて居ります、斯樣な種々なる考慮から致しまして、はつきり何人も疑惑を持たないやうな言葉を用ひたいと思つた譯であります、さうして茲に選びましたのが助言と承認と云ふ言葉となつて來た、助言と云ふ言葉は言葉の性質に於て左程御懸念になるべき程卑しい言葉ではないと思つて居ります、私はさう思つて居ります、是は言葉に對する感覺でありますから、多くの議論を申上げる力はありませぬけれども、併し國務大臣か、或は内閣か、天皇に對して御間違のないやうに心血を注いで御耳に達して、其の御方針を御決しになる標準とせられますると云ふことに付て、如何にも適切に其の内容を現して居る言葉と思ふ譯であります、むづかしい言葉を使つたら天皇が尊くなる譯でも何でもないのでありまして、斯樣な卑俗なる言葉は…、私は寧ろ卑俗と云ふことが却て適當でないと斯う云ふやうに考へて居ります、次に承認と云ふ言葉は、是は成る程國會が内閣に對する場合も使はれて居ります、併し事柄の實質的意義が或關係に於て共通であるならば、又共通の言葉を用ひることも當然であると斯う云ふ風に考へます、唯特に之を同意と云ふやうな言葉で言へば何となく素直に聞えるかも知れないと云ふ説も、私耳にしたこともありますが、能く考へて見ますれば幾何の差もないと思ひます、法律的には色々な意味に使はれて居ります、必ずしも一つの意味に使はれて居りませぬ、茲で特に承認と申しましたのは、内閣が此の行爲に依り絶大の責任を負ふ、詰り其の立場で天皇に對して意見を申上げるのではなく、基本的な心持を成るべく適切な意味で現しまする爲に承認と云ふ言葉を用ひたのでありまして、其の點に於きまして同意などと云ふ輕い言葉よりも、幾分其の責任觀念の響が餘計出て來るやうに思ひます、尚牧野先生は進言と云ふ言葉を助言に變へたらどうかと云ふことを嘗て仰せになりましたが、進言と云ふ言葉は何となく建議する、例へば民間から時々政府に對して建議をする、さう云ふ言葉を稍稍飾つて言つた言葉で申します時の進言と云ふことと違ひまして、茲に言ふ助言とはぴつたりと合はないのではないかと云ふ風に考へて居ります、勿論言葉のことでありますから、前後の關係もありますが、言葉だけを裸かにして論議することは誤つて居るかも知れないと思ふのであります、次に同じ一つの思想を流れて居るのでありますが、第四條に於て「權能を有しない」と云ふ言葉があるが、是も面白くない、「有しない」と云ふ代りに關與せずと云ふやうな、何か比較的少し刺戟のある言葉を用ひたらどうか、尚是は他の條文に對しても著しい影響があると云ふやうな御示でありました、其の點も我々の在來の考から申しますれべ確かにさうであると思つて居りますが、私は豫て斯う云ふ議論をして居るのであります、此の場合當嵌ると思ひますが、現行憲法の言葉は其の言ひ現し方が眞理を濫りに言ひ現して居るのであります、例へば天皇が法律を裁可する、斯う書いてある所を見れば、國民は特に法律を研究しない者は、天皇が實際に法律を御裁可になると思つて居ります、或は天皇の名に依つて裁判を行ふとあると、誤つた裁判を受けて、それに對して不滿な人は、裁判官が間違つたと言はないで、天皇が斯う云ふ裁判を以て我々を壓迫したと、露骨に言へばさう云ふ言葉を使つて居るのを聞いたことがあります、法律的に説明すれば其の考は根本的に間違つて居ることは明瞭でありますが、言葉の綾から來る結果としてさう云ふ錯覺が起つて來る、現行憲法の各條文に於て殆ど總てが左樣な意味を持つて居ります、之を一口に言ひますれば、言葉の現す所は誠に美しい、併しながらそれは本當の眞實を隱して居る、其の眞實を發見し得ますのは、相當の法律上の教養のある者のみが之を爲し得るのであります、國民を二組に分けて、一組は愚かしく憲法の文子を信用して居る、他の少數の一組は憲法を文字と學問で本當に認識して居る、其の二組が日本國民を構成して居る、さうして過去の色々の悲しむべき國家の事變を生み出して來たと思ひます、此の憲法はさうでない、國民全部が如實に憲法を認め得るやうにしようと云ふのであります、そこでどうしても裝飾的な技巧が減つて行くことは免れ得ませぬ、固より此の憲法と雖も徹底的に斯樣な裝飾的技巧を除いて居る譯ではありませぬ、唯それを最小限度に止めて、どの邊が宜いかと云ふことは是は認識の爭が起つて參りませうけれども、私共は出來るだけさう云ふ二重解釋の部分を極度に制限致しまして、國民感情も尊重致しまするけれども、根本の原理は冷嚴な原理を比較的平凡な知識を持つて居る國民にも端的に知らしめるやうにと、斯う云ふことに眼目を置いたのであります、其の結果として多くの規定が文字を調節されて居ります、第四條の規定は文字だけで申上げますと殊に面白くないのであります、餘りに眞實を露骨に書いてあると云ふことが言へるのであります、併し事實を露骨に書いて惡いと云ふことは本筋に於てはない、國民感情を適切に保護する限度に於て考慮すべきでありますが、日本國民が果して何時迄もさう云ふ廻り諄い言葉でなければ保護し得られないのかと云ふと、さうではない、日本國民は國體の尊嚴を能く認識して居りますから、斯う云ふ露骨な言葉を使つても、それを使へば使ふ程本當に國體觀念を意識し、其の上に組み立てられたる政治構想に對して端的なる了解を持つのではなからうか、原案者は斯樣に考へて居るのであります、そこで第四條に於きまして政府原案に於きましては「この憲法の定める國務のみを行ひ、」云々とありましたが、衆議院に於きましては更に一層それを謂はば端的に言ひ表す爲に「國事に關する行爲」と云ふ風に「國務を改め、「政治」と云ふのを「國政」に改められたのであります、それは政府の考へて居る考へ方を一層現實化させられたと云ふ見地に於て居同感を申上げたのでありますが、斯樣な意圖に基いて居るのでありまして、此所の邊の氣持は私は英語が能く讀めませぬので、飜譯の方のことを昨日も御質問がありましても十分に取扱ひ兼ねて居りましたが、強ひて此の場合に飜譯と對照して申しますると、第四條の所の「政治に關する權能を有しない」所は、英文の方では「ネヴァー・シャル・ヒー・ハヴ・パワァース」、斯う云ふ風に「ネヴァー」と云ふ言葉を先に出しまして、寧ろ飜譯は誇張の姿を表して居る、即ち此の日本文が左樣な強く言ひ表す氣持を語氣の中に含んで居る、「斯う云ふ趣旨で英譯もさう云ふ風になつたものと考へて居りますが、左樣な全體の考へ方に基いて居ると云ふことを、御了解下さいまして、どうぞ御議論も御修正も是は貴族院の御自由でありますけれども、私共の氣持のある所だけは一つ一應念頭に入れて戴きたい、斯樣に考へて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=17
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018・牧野英一
○牧野英一君 冷嚴なる事實に鑑みて色々御考慮になつたと云ふ御心持のことは私としても段々に理解出來るように思ひまするが、當局の御趣旨はそれと致しまして、尚是は委員各位に於てもそれぞれ御考を仰ぐことが得れば幸福に存じます、それに關聯しまして、稍稍第二義的の疑ひを、是は目録の程度で申上げて置きたいと思ひます、先程解散のことを申上げましたが、之に付ては今御答を仰ぐことが出來ませぬでした、併し是は内閣の規定と參照して見まして、矢張り解散に付ては内閣が全責任を負ふので、内閣が總てを何と申しますか、發意し、さうして天皇は金森國務相の述べられた、儀禮的に國事を行はせられる、斯う云ふ順序になるであらうと思ひますから、是は文字の整理と云ふことに或はなるのでございませうか、それに引續きまして第七條の第六號に「大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除」と云ふことがあります、是は金森國務相に於ても固より十分心得ておいでになることと思ひまするが、尚是は司法大臣の御所管に屬することで、特に「刑の執行の免除」と云ふものを御加になる必要があるものかどうか、現行の恩赦令に依れば、是は必要のないことと思ひますが如何なものでござぃますか、殊に英譯の方を見ますと「刑の執行の免除」と云ふこととは餘程懸け離れた文字が使つてあります、英米法に於てはさう云ふことの意味を爲すものと考へまするが、我が國の憲法を起草すると云ふ場合になつて參りますると、從來の恩赦令で十分足りる、故に此の語を附加へる必要はないのぢやないかと愚考する次第であります、それから第八號の批准書、是は批准の問題になりまするが之に付ては山田先生から或は尚色々と御話を願ふことが出來るであらうと思ひます、是等の言葉遣ひに付て多少の疑を存して居ることを唯申入れて置きます、最後に第八條でございまするが、是は矢張り内容的に問題となります、「皇室に財産を讓り渡し」云々の規定がありまして、此の全文の書き方それ自體に付て尚同ひたいこともありまするけれども、全體に亙る形式のことは姑く別に致しまして、差當り「皇室に財産を讓り渡し」此の言葉が矢張り私は少し穩やかさを缺いて居るやうな心持がするのでありまするが、併し其の前に實體的に御同ひ致したいのは、「皇室に財産を讓り渡し」と云ふのはどう云ふ御心持の趣旨か、衆議院に於ける議事の樣子を伺つて見ますると、皇室財産と云ふことには特別の意義がおありのやうで、現に八十四條に付て斯くの如くやかましい御議論があつたに付て、特に此の八條の「皇室に財産を讓り渡し」と云ふことに付ては特別の意味があるのではないかと思ひます、其の特別の意味次第では或は「讓り渡し」と云ふ言葉で差支ないと、斯う云ふことになるのかと思ひますが、何かそこに特別の意義がありますか、我々が唯平凡に皇室に財産を獻上すると云ふ意味に了解して宜いのか、此の點を御同ひ致したい発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=18
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019・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 衆議院を解散することに付て御答を申しませぬでしたことは、用語の一つの例として御擧になつたとばかり了解を致して居りましたので、用語一般論の御答を以て足れるものと思つて居りましたが、其の實質的なる御答と致しましては、衆議院を解散することは、實質的には内閣所管の權能と存じて居ります、内閣は行政權を行ふと云ふことになりまして、斯樣な衆議院の解散が狹い意味の行政權でないことは勿論でありませう、併し立法でもない、司法でもないと云ふ趣旨は、此處から押し極めて行つた所の廣い意味の行政權に屬するものと考へて居りまして、其の實體を決めますることは内閣の所管に屬するものと考へて居ります、其の所管に依つて決定したる段階を經て、其の助言と承認に依つて最後の決定を行はせらるるのが第七條の第七號に依つて行はせられる、斯う云ふことの解釋となるものと考へて居ります、次に「刑の執行の免除」に付ての御質疑がありましたが、此の點は成る程現在の制度に於ては、刑の執行の免除は他の事項、多分特赦であると思ひますが、其の中に含まれて居るもののやうに思ひますが、斯樣な一つの形を恩赦の權能の一つとして特記することは、決して理由ないことではないと云ふやうに考へて、原案を斯くの如く列べたのであります、唯、今迄通りで宜いではないかと言へばそれも勿論であります、併し斯樣に一つの形をはつきり書くと云ふことも亦立法のやり方であらうと考へて居ります、英語の飜譯が是と合ふとか、合はぬとかと云ふ御話でありましたが、實は私はどうも同じやうなことを繰返しまするが、英語に付ては十分の理解を持つて居りませぬので、併しそれは英文の問題でありまして、日本國の憲法を起案致しまする其の態度は、英文の用ひ方が如何樣であらうとも、必ずしも重きを生ずることではないと考へて居ります、尚「レトリーヴ」と云ふ言葉はどう云ふ意味を以て居るかと云ふことは、法律家と社會的な言葉の遣ひ方との間に差異があるやうでありますが、必ずしも無關係の意味ではないやうに私は聞いて居ります、それから次に批准のことがありましたが、是は主たる御質疑でないかと思ひましたから御答を省略致しまして、第八條の規定に付て御答を申しまするが、第八條は言葉通りに私は了解つて居るのであります、即ち皇族と申しますのは天皇と皇族とを含んだ所の一つの觀念的なる存在である、それを集團と言つたら不自然でございませう、觀念的なる存在でございます、從つて其の中に天皇と皇族とを含んで居る、斯う云ふ風に考へます、其の天皇と皇族との範圍に對しまして其の以外が、詰り皇室と云ふべきもの以外からそこに財産を讓り渡すと云ふこと、又は皇室が其の以外から財産を讓り受けられると云ふこと、と云ふ風のことは國會の議決に基かなければならないと云ふのでありまして、之を他の言葉で言へば天皇及び皇族を含んで居る其の一つの存在、それ以外の存在との間には財産の交流を、此の八條の途に依るの外、存在し得しめないと云ふのが此の憲法の解釋であらうと思ひます、尚之を八十四條の皇室財産の關係に併せて御質疑になりましたが、八十四條は皇室財産と云ふ言葉を用ひて居りまして、是は前後の關係上、自ら一定の意義を有するものと了解して居りまして、八條に言ふことと必ずしも直接の關係はない、斯う云ふ風に考へて居るのでありまして、從つて八條の方は其の結果として、謂はば天皇の公有財産と申しますか、八十四條で申しますやうな所謂皇室財産に當嵌るやうなことも八條に規定せられ、又天皇の私有財産に當篏る場合も之に規定せられ、皇族各位の私有財産に當篏る場合も之に規定せられると云ふ風に了解して居る譯であります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=19
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020・牧野英一
○牧野英一君 段々心持を伺ひまして理解を深めることが出來ました、最後に唯一つ第八條の末文に「基かなければならない」と云ふ言葉が出してある、是は單純な用語の問題になりますが、此の各條を通覽致しますと云ふと、斯う云ふやうな場合に、「基くことを要する」と云ふやうな形に起案されて居る點が差當り氣付きましたのでも六箇所ございます、斯う云ふ譯で「なければならない」と言ふ言葉が、昨日も御話になつたやうに極めて平易で宜いか、或は稍稍眞面目に「國會の議決に基くことを要する」とした方が憲法らしいものの言ひ表し方になるか、「される」と「せられる」と云ふやうな似寄つたやうな議論になりますが、併し「要する」と云ふ書き方に致しますと、現に此の憲法の中に今申しました通り、差當り似寄つたやうな場合が六つあります、「要する」、「必要とする」と云ふやうな言葉を御使ひになつて居りますから、尚それと照し合せまして御詮議を願ひたいと思ひますが、是等の細かい點に付きましては委員長からの御示の通り、更に私の竊かに考へて居ります所を書面に認めまして差出すことに致します、私は是で終ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=20
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021・大河内輝耕
○子爵大河内輝耕君 私は皇族の御地位に付て質問致したい、甚だ質問の仕方が莫とした御尋ねですからどうぞ其の御積りで願ひます、此の憲法に依りまして帝室の問題は解決されましたと思ひます、まだ質問しなければ分りませぬが、私の考へる所では天皇は政治上に一切御關係にならない、唯儀禮のことだけ御やりになると云ふことでございますから、是で天皇の御地位は御安泰になつたと考へます、それから、まあそんなことを一緒にする譯ぢやございませぬが、皇族の地位も、ああ云ふ厄介なものがなくなつたので、誠に社會生活の爲に喜ぶべきことで、殊に度々申す通り、家と云ふ制度迄なくなるのださうで、誠にどの位之が國家の爲、社會の爲になるかと我々喜んで居りますが、扨、一番御氣毒なのは皇族樣、是はもう何も手が觸れてない、それですから依然たる地位で居らつしやる、さうしてどう云ふ御地位かと云ふと、攝政になる御資格もあるし、それから皇位繼承にも或關係を持つて御出でになる、さう云ふ御關係なんですから、非常な苦しい御立場で、之を止めてしまつたら嘸御喜びだらうと思ふのですが、さう云ふ譯に參らぬ、で、非常な御窮窟な地位に御置き申すので、何とも恐縮に堪へない、それでまあ考へる所では、今後の皇族樣の御地位としては、誠に御氣毒樣ではございますが、皇位繼承や攝政に御關係のある以上は、政治や社會のことには一切御關係下さらないやうに願ひたい、之がさう云ふものに御關係になると云ふことになると、さうすると遂に天皇迄も影響を及して來ると云ふやうな、惡い結果を生じないと限らない、詰り或は自然科學の研究であるとか、或は音樂であるとか、美術であるとか、文學であるとか云ふ方へ力を御注ぎになつて戴きたい、誠に無理な御注文だけれども、是は皇族の性質として巳むを得ない、それに付きまして只今皇族の經費の關係も出ましたが、私と致しましては此の經費を十分御注意になつて、露骨に申せば、澤山差上げて戴きたい、世の中を愉快に御暮しになる經費と云ふものは、存外目に見えないで掛るものです、我々でも一つ道樂を始めるとなかなか金が掛る、況んや皇族樣ですから、御日暮しには隨分御困りだと思ふし、餘程そこの所は政府の方で注意して十分な御費用を差上げると云ふことにならないと、どうも兎角危い、それに皇族の御身邊に對しては、動もすれば近付いちや困るやうな人間が近付くと云ふやうなことも、是も想像し得られないこともない、今迄さう云ふことがあつたと云ふ譯ぢやありませぬが、さう云ふやうなことでもあれば、餘程危い、何しろ餘程皇族の御地位と云ふものは、色々な點から考へて無理なものなんです、制度と云ふものは無理なものなんです、此の無理をうまくやつて行くと云ふことは餘程むつかしいことのやうに思ひますが、政府のそれ等の御考を一つ伺ひたい発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=21
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022・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 今御尋になりました皇族に關しまする問題は、實際を申しますれば、現在研究の道程にありまして、非常に堅く申しますれば、政府が御答辯をする所迄行つて居ないと、斯う御答をすべき譯でありまするけれども、さう云つてしまへば實は政府の考が全然ないと云ふことになりまするが、今私共が大凡描いて居る考へ方と致しましては、仰せになりましたやうに皇族の御地位はどうしても此の憲法に依つて實質上相當に變つて來ると思ひます、と申しまするのは、個人生活の方面をはつきりさせて來まする關係上から主として來るのでありまするが、今も同じやうな皇族の範圍で宜いかどうかと云ふことが第一の問題になつて來る譯であります、で、今囘の此の建前は、皇族であるが故に、皇族であると、斯う云ふ考へ方ではなくつて、皇位を御繼承になり、又は攝政に御なりになると云ふことを中心として、皇族の範圍を考へまするが故に、萬事が皇位繼承及び攝政であらせらるる人の範圍と云ふものを大凡念頭に置きまして、其の念頭の中に丁度御含れになるべき適當の方だけが皇族に御成りになる、それ以外の方は必ずしも皇族で御ありになる必要はないのであつて、そこには然るべき働きがあつて宜からう、斯う云ふ前提になつて來る譯であります、其の點に於て先づ一つの問題が、是は私共から申上げることでございませぬが、問題としてはさう云ふやうに一つ起るのではないか、斯う云ふやうに思ひます、次に皇族としては今仰せになりましたやうに皇位を御繼承になつたり、或は攝政に御就任になると云ふ關係上、之に對して「ノビリティー」は十分になければならぬ、斯う云ふことも考へられます、從つて「ノビリティー」に反する御職業等は常識から考へまして好ましくないと云ふことになるのでありますが、是は政府の方で法を決めてどうすると云ふ問題ではなくて、別の考に依つて動いて行くものではなからうかと存じて居る譯であります、次に皇族の御經費を補充する問題でありまするが、是は、憲法草案の八十四條にありまするやうに、皇室の經費は國の方から豫算で決めて豫算上の支出として之を差出だすと云ふことになつて居ります、其の中に皇族に對する必要なる經費が計上せらるべきものと考へて居りまして、其の經費の具體的の計算が如何になるかと云ふことは私からまだ申上げるべき段階にはなつて居りませぬけれども、國民諸君の十分な理解が存在致しまするならば、誤つたる方向を辿ることはなからうと實は確信致して居る次第であります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=22
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023・大河内輝耕
○子爵大河内輝耕君 此の問題はそれで宜しうございます、次の問題に移ります、次の問題に移る前にちよつと伺ひます、第一條でございますが、此の象徴、是は先達て牧野先生からも御質問があつたのですが、是は表象と變へることは如何でせうか、是だと餘程分りが易い、象徴と云ふ字は國民學校の讀本にもないでせうし、中學の教科書にもないでせうし、なかなか縁遠い、表象ならばありますから其の方が餘程通俗的になるのですが、私はなんの意味もない、唯通俗にする意味に於て其の方が宜くはないか、如何でせうか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=23
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024・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 表象と云ふ言葉は此の間も牧野先生が仰せになりましたし、他からも聞いて居りまして、現在は象徴と云ふ言葉が行はれて居るけれども、是は確か大正の終り頃からか行はれて居つたのであつて、其の前は表象と云ふのが普通であつたのだ、斯う云ふやうな教へも他から受けたこともあります、併し表象と云ふ言葉の持味と象徴と云ふ言葉の持味と比較してどちらが適切であらうかと云ふことを考へて見ますると、是から先は言葉を以て言ひ現し得ませぬので、各各感ずる所が違ふと存じますけれども、矢張り象徴と云ふ言葉の方が國民意識に深い感覺を與ふるのではあるまいか、殊に表象と云ふ言葉は私は能く哲學のことは知りませぬけれども、何かそちらの方で他の意味で使つて居る言葉、「フォルステルンク」と云ふ言葉の譯語として使つて居るのではないか、象徴の方になりますと此の前佐々木先生が、甲の意味がある、乙の意味があると仰せになりましたが、獨りそれだけに止まらない、私は今日餘計な言葉で表現的と云ふやうな言葉を使ひましたけれどもさう云ふ意味もあるらしい、凡そ象徴と云ふ言葉の持つて居る正確なる範圍は、それは説明の仕方に依つて違ふかも知れませぬが、大體意味は一定して居るやうに存じます、のみならず是から先は私の多少個人的見解に近いのでありまするけれども、天皇の御地位と云ふものは此の憲法に書いて見ますると、唯冷やかなる文字に化けてしまひますけれども、國民の心の中には相當重要なる印象を殘して常に姿を持つて居なければならぬ、さう云ふ風に存じて居ります、さうなりますると極めて使ひ馴らした言葉よりも、場合に依りましては少しく或意味に於て耳障りと申しますか、印象の強い言葉の方が、其の言葉に依つて第二の意味が發生しまして象徴と言へば直ちに天子樣の總ての御地位が客觀的に映つて來る、斯う云ふやうな氣持になります、其の爲にはさう云ふ言葉を使ふ方が宜いのではなからうか、斯う云ふ氣がして居るのであります、是はちよつと餘談になりますが、牧野先生が戰爭の抛棄と云ふ言葉に付て、戰爭の否定と云ふ方が宜いのではないかと云ふことを仰せになりましたが、私共は其の場面に於きましては、戰爭の抛棄と云ふ多少耳障りと云ふか、さう云ふ意味の言葉の方がどうも深い印象を殘して、國民にすつと了解せしむる上に良い働きを持つのではなからうか、斯う云ふ風に考へて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=24
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025・大河内輝耕
○子爵大河内輝耕君 其の點は能く分りました、それで次に第一條にあります「主權の存する」と云ふ主權と云ふ意味は、矢張り昨日御話のやうな政治力と云ふやうな意味なのでせうか、是は矢張り前文の主權と同じに考へて宜しうございませうか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=25
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026・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 仰せの通り此の言葉は前文で、主權が何處に在るか、斯う云ふ風に書いてあります爲に其の言葉を受けまして「主權の存する國民」と言つたので、全然同じ意味でございます、其の「主權」と云ふ言葉の持つて居る意味は誠に御説明しにくいので、昨日御話申上げました通りであります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=26
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027・大河内輝耕
○子爵大河内輝耕君 其の主權の意味は能く分りましたが、私は統治權の總攬者は何人であるかと云ふことを伺ひたいと思ひます、主權者と云ふ言葉は大變色々な意味があるのださうでございます、統治權の總攬者と同じやうに私は假に解釋して置きたい、それで統治權の總攬者は何かと云ふと、私此の憲法を見た所では兎に角最高の權力を持つた者が統治權の總攬者である、さう云ふことになれば慮法の改正權を握つて居る國會と國民とが是が統治權の總攬者である、憲法も改正することも出來れば何でも出來ますから是が一番最高權者であり、統治權の總攬者であると見るのが相當な考へのやうに私は思ひます、併し又一方から見ると憲法の改正は暫く見ないで平かに見ますと、さうすると國會も入ることは勿論ですが、其の他に内閣も入れば裁判所も入れば天皇も一部を持つて居られると云ふやうなことで、色々なことになつて來る、それ等が各各一部の統治權を持つて居る、それを綜合したものが統治權の總攬者であるが、それはどう説明されるか、兎に角四つの機關があると云ふやうに取られる、私は素人でどつちが宜いか分りませぬが、是は爭ひにでもならうかと思ひますから政府の御意見を伺つて置きたい発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=27
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028・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 此の憲法は建前が現行の憲法と違つて居ります爲に、的確に統治權の總攬者と云ふ言葉に當るものはないと斯う御答へ申上げた方が適當であらうと思ふのであります、併し統治權の總攬者と云ふものが具體的な姿の人であつて、而も最後の鍵を握ると云ふ風に取りますならば、今仰せになりましたやうに憲法を改正する權能を持つて居る國民と云ふやうに理解することがぴつたり當るかどうか是は分りませぬが、一番近い御答だらうと思ひます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=28
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029・大河内輝耕
○子爵大河内輝耕君 其の次に第一條に關する法律上の效果を伺ひたいのです、なんだか私の言ふことは分りにくいでせうが、之に依つて色々の法規も出て來ませうし、又之に依つて反射作用もあるだらうと思ふのです、どんな法規が之に依つて出て來るか、どんな反射作用が法律上あるものだらうか、大要承りたいのです発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=29
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030・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 第一條自身の意味は今御尋の範圍でありませぬからして御答へ申しませぬ、要するに第一條自身は天皇が國の象徴である、それが國民の總意に基く、それだけの規定でありまして、其の本體に付きましては、謂はば靜かなる天皇の御地位、外から見れば天皇は國を表す姿である、斯う云ふのでありますから、靜かな規定であるのでありますが、併しながら此の規定があることの結果と致しまして、附隨して先づ大きな方向に於て二つの流れの制度が考へらるると思ひます、一つは公平無私であり、八面玲瓏であり、國と本質を同じうするが如くに考へらるる御地位でありまするが爲に、それからして所謂無答責の規定、即ち刑罰上の問題、政治上の問題に付て責任を御負ひになることはないと云ふやうな規定が生れて來ると思ふ譯であります、それから又此の御地位に伴ひまして、其の尊嚴を擁護すべき規定と云ふ一段が考へられて來るのであります、それは何かと申しますると、例へば天皇は如何なる敬稱を、陛下と云ふ敬稱を御持になるかと云ふやうな種類の問題、又天皇に對して其の御名譽を傷つけたりなどを致しますれば、外のものよりも重く罰して然るべしと云ふ原理等も、此の第一條を根據として説明されて來るものと思ふのであります、それが先づ一番直近する規定であります、次に又別口の考へ方と致しまして、既に象徴であると云ふ御地位がありますれば、唯象徴であると云ふだけでは是は永續的に象徴であらせられるに不適當でありまして、どうしても其の象徴たるに相應しき積極的な働きを行はせらるるのでなければ、ものはうまく運ばない、斯う云ふ風に考へて居ります、そこで此の象徴たる御地位に伴つて、誰が見てもそれこそ天皇の御働きであると思はるる諸般の權能が之に附隨して定めらるべきであります、それが此の主として第六條、第七條等に於て生るるものでありまするし、まあ此の席上に屡屡御質疑が出ようとして其の儘になつて居りまする、國際關係に於て如何なる扱を御受けになるかと云ふやうなことも生れて來る譯なのでありまして、大體其のやうな風に考へて居る次第であります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=30
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031・大河内輝耕
○子爵大河内輝耕君 能く分りました、次に私は認證制で伺ひたいのですが、是は高柳先生から御質問になることになつて居りますから、其の節高柳先生の御あとで必要があつたら關聯質問で述べることに致します、私の質問は是で止めます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=31
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032・安倍能成
○委員長(安倍能成君) 村上委員発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=32
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033・村上恭一
○村上恭一君 前席の大河内委員が皇室の地位に付て御質問になりました、次の席の佐々木委員は皇室制度の全般に亙つて御質問になるやうに察せられます、私は其の間に立ちまして、皇室制度に關して特に疑問に感じまする所の若干に付て質問致したいと思ひます、自然右御兩君の御質問と重複する所があらうかと思ひまするが、此の段は豫め御了承を願ひます、皇室の制と申しますれば、固より天皇制に牽聯するものでありまして、改正憲法に於きましても、從前同樣に重要な意義を有するものであることは、申す迄もありませぬ、改めて申上げる迄もなく、皇室は天皇と皇族の全員を以て構成されました單一な集團であります、恰も一般人民に於ける家に相當するものでありまする、其の家には法律上の人格がありませぬのと同樣に、皇室も亦集團として法律上の人格を有するものではありませぬ、それ故皇室と言ひまするのは、實は天皇及び各皇族のことであります、皇室財産と申しまするのは、天皇の御所有に屬する財産即ち御料、及び各皇族の御所有に屬する財産、即ち皇族財産の謂に外ならぬのでございます、扨、皇室制度は大別しまして、天皇及び皇族の權利義務に關するものと、宮内の事務に關するものとの二つの部門とすることが出來ます、其の宮内の事務に關するものと申しまする中には、宮中機關の組織及び權限に關する規程を包含するのでございまする、現行の皇室典範第一増補第七條第一項に「皇族の身位其の他の權義に關する規程は此の典範に定めたるものの外別に之を定む」と規定してありまする、茲には單に皇族とあるだけでありまして、天皇と迄は申してありませぬが、皇族に付て然り、況んや天皇に於てをやと解すべきことは、疑を容れざる所でございまする、さうして茲に「別に之を定む」と言ひまする皇室典範に基く所の規程が、其の形式に於きまして、先づ皇室令であるべきことは、公式令第五條第一項に規定する所であります、又宮内の事務に關する規程が、是亦其の形式に於きまして、先づ皇室令であるべきことは、同じく公式令第五條第一項の規定する所であります、此のやうな次第でありまするので、皇室制度は皇室典範及び其の系統に屬する皇室令以下の規程に依つて規律されまして、其の規程は帝國憲法及び其の系統に屬する法律、勅令以下の規程と、形式上截然區別されて居ります、我々は通例前者を皇室法規と稱し、後者を普通法規と稱しまする、普通法規に付きましては帝國議會の議決を經るとありまするのと異りまして、皇室法規に付ては帝國議會の議決を經ることのないのが特色であります、之を我々は通例皇室の自主權と稱して居ります、皇室典範は形式上帝國憲法と對等の地位に立つものとも認められます、此の點に付きましては學者間に説がありまするが、今申しましたやうな見解も認められて居りまして、其處に國法の二元説、二つの根源と云ふ説が成立するのでございます、皇室法規としまして、皇室典範の外に、現に多數の皇室令が制定されて居りまして、天皇及び皇族の權利義務に關しては、屡屡廣い範圍に亙つて普通法規が準用されては居りまするが、實體上特殊な規定の設けられたものも少くないのであります、凡そ斯くの如きものが從前の皇室制度の組立の大體でございます、是より質問でございまして、先づ質問の第一點でございますが、憲法改正案第二條に依りますれば、新しい皇室典範は國會の議決を經べきものとされて居ります、國會の議決を經ます以上は、それは形式に於て法律であらうと存じます、現行の皇室典範は形式上帝國憲法と對等の地位に立つものと解することが出來たのに反しまして、新しい皇室典範は形式上帝國憲法の下の位に就くものとなりまして、明かに國法の一元化、國法の根源は一つとなつたと云ふことを認める外はないこととなるのであります、此の場合に於きまして皇室制度に關し、皇室典範以下に設けられるべき規程は、如何なる形式に依るのでありまするか、新憲法に於きましては、從前の勅令に相當する所に政令と云ふ形式を立ててありまするが、右の皇室制度に關する皇室典範の次の階級の規程には、矢張り此の政令の形式を與へられるのでありませうか、此のことは後に述べまする宮中機關の機構に牽聯する所もございまするが、茲に先づ質問の第一點として御尋ね致します発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=33
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034・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 今御質疑になりました皇室令に當るべき事項は、今後如何なるものに依つて規定せらるるのであらうか、斯う云ふ御趣旨と考へて居ります、それは稍稍根本から申上げないと正確を期し難いと申しまするか、今囘の改正に依りまして村上委員が仰せになりましたやうに、國法の一元化とも云ふべき根本的なる原理が樹立せらるることになつて居ります、即ち憲法と皇室典範が二元的に相對立致しまして、一方が他と別個の權能に依り設けられ、又其の間に特殊な連絡以外には直接の連絡がない、斯う云ふ原理を認めずして、憲法が唯一の成文國法の根源であると云ふ考へ方を取つて居るのであります、そこで皇室典範は仰せの如く、憲法に基く法律の一種として理解されて來ることになる譯であります、現在皇室典範に依つて規定せられて居りまするものは、色々なものが含まれて居るやうに思はれまして、所謂國法一般の體系に屬すべきものも、事皇室に關係するとなれば、皇室典範に含まれて居るのであります、それと同時に皇室御一家に關することも、皇室典範の中に含まれて居ります、今囘の憲法改正案に於きましては、天皇御一家に亙りますることは、若しそれが私的關係と見得る範圍に於きましては、直接に國法の關與する所ではないのでありまするが故に、別個の範疇に其の規律が屬して行くものと思ふのであります、謂はば皇室内部の御規定とでも謂ふものにならうかと思ひます、他面國法の體系の中に屬すべき本來の性質のものは、或ものは皇室典範と稱する法律に盛込まれることと思つて居ります、それは此の改正案を認めて居りまするが如く、皇位繼承、攝政と云ふこと及び之に關聯を致しまする諸般の重要規定が、法律である所の皇室典範に盛込まれます、又他の一群の國法的規定は、皇室典範ではなく一般の法律の中に盛込まれると思ふのであります、それは例へば皇族等に關しまする一般の法律規定、例へば民法上の規定、其の他之に類する規定と云ふものは、特殊なる内容を持つことはあり得ませうけれども、規定と致しましては、一般の法律の中に入つて來るものと考へて居ります、斯く考へて來ますると、理論的には皇室に關する制度が、若し法的のものであるならば、政令の中に入つて來る餘地はございませぬ、と申しまするのは國法的のものであれば、國の法律系統の中に入つ來る、それから國法的でないものであれば、皇室の謂はば内部の御定めになるべき事項である、斯う云ふことになるのであります、併し法律系統の中に入つて來まするものの中でも、現實には事稍稍細目に亙る等の爲に、皇室典範其の他の法律に直接に規定せられないものは、固よりあり得るのでありまして、それを如何なる形式の法律に盛込むかと云ふ問題になるのでありまするが、是はまだ正確には定めて居りませぬ、大體から言へば仰せの如く、政令の中に盛込むのであります、併し其の外にも下級の命令の形が、此の憲法で設けられない譯ではありませぬからして、尚別の考慮を致すこともあり得ると思ひまして、今の處は政令と考へて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=34
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035・村上恭一
○村上恭一君 次の點に入ります、皇族は御身分上、天皇と特に親近な關係にあらせられる御方々でありまして、皇族男子は皇位を繼承する資格を有せられるものであります、皇族女子は皇位繼承の資格はないとしましても、皇族男子の配偶又は直系卑屬であらせられます、さうして皇位の純潔さは飽く迄之を保持せねばなりませぬ、それ故皇族は國法上、一般の人民とは異つた地位を有せらるるものとすることが當然であります、憲法改正案、衆議院修正の第十四條第二項には「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」と斯う規定してありますが、皇族に於ては固より貴族を以て目すべき限りではないと存じます、茲に於て皇族の範圍を適當に限定することが必要であります、從前の如く、皇室に御生れ遊ばされました御方は、嘗ての天皇より百世の御末裔に至りまする迄も皇族であると云ふ、所謂百世皇族の原則は、皇室の繁榮の爲の原則としては固より結構でありまするが、茲にも亦相當な疏通の途がなくてはならぬと考へられます、即ち現行皇室典範第一増補第一條及び第二條に規定してありまする如き、皇族男子の臣籍降下の特例の必要性が認められるのでございます、さうして又同じく皇室典範増補第六條に規定してありまする如く、一旦皇室より出でて、一般人民の列に入つた御方は、女子が婚姻に依つて再び皇室に入る場合を除くの外は、復皇室に戻らせられることを得ないものとしまして、皇室と一般人民との間の境を立てて、其の出入りを制限すると云ふことが必要であります、要するに皇族の範圍と云ふ課題に付きまして、政府は如何なる見解を持つて居られるのでありませうか、尚續いて是は皇室に關する根本の問題でありまするが、將來それは如何なる見解を持つて居られるのでありませうか、尚續いて是は皇室に關する根本の問題でありまするが、將來それは如何なる規程を以て之を定められるのでありませうか、私の見る所を以てしますれば、當然新しい皇室典範を以て規定さるべきものと思はれるのでございます、にも拘らず先に當委員會に配付を受けました新しい皇室典範の要目には、唯皇位繼承のことと、攝政のこととが擧げてあるだけであります、其の他の事項は一切掲げてありませぬ、そこで是が私の疑問となるのでございます、以上の二點に付きまつて御尋ね致しますることが私の質問の第二點でございます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=35
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036・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 皇室の範圍に付きましては、此の問題も矢張り憲法實施に伴ひまして必要なる事項として、現在臨時法制調査會に諮問をして、各方面の方に案を練つて居つて戴きますので、今日的確なる所見は申上ぐるに尚時期尚早であると考へて居ります、併しながら私が抱懷して居る考へ方、是は決して無責任に申上げる譯ではありませぬが、假に私の抱懷して居る考へ方を申すことを御許し下さるならば、大體今村上委員から仰せになりましたやうな方法を以て諸般の事項を規定したいと云ふ考の下に研究を進めて居ります、例へば今仰せになりました百世皇族と申しまするか、と云ふやうな考へ方は必ずしも物の道理には合はないのでありまして、之に對しまして皇位繼承及び攝政の任に當らせらるべき適當なる人々の範圍と云ふ見地から色々な特別なる考慮を加へなければならぬと云ふことも考へて居りまするが、唯現實に如何なる制度を設くべきかと云ふことは、今日まだ御明言を申上げることは出來ませぬ、併し大體に於て村上委員の仰せになる所と實質に於ては、異る所はないと思つて居ります、又一度皇族の外に出られた方が御戻になられることはないと云ふ原則の如きも、私は當然尊重すべき原則と考へて居ります、次に斯樣な皇室の範圍を規定し、皇族に付きましての諸般の規程を設けますることは、如何なる形式の法を以て定むべきかと云ふ御質疑でありましたが、是は曾て衆議院の委員會に政府から參考として出しました謄寫刷の物の中には、成る程仰せの通り皇位繼承と攝政のことのみしか掲げてはありませぬ、それは其の場合に於きまして衆議院に於て持に重點を置かれました點を掲げた譯であるが故に、斯樣な結果になつたのでありまして、今考慮の中にございまする道行きで言へば、斯樣なことは矢張り皇室典範、今囘の憲法改正案に基く法律たる皇室典範の中に當然規定せらるべきものと考へて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=36
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037・村上恭一
○村上恭一君 次の點に移ります、先に申述べました如く、天皇は勿論、皇族は國法上一般の人民とは異りたる地位を有せらるるものでありまするから、其の權利義務に付きましては、或限度に於て一般の人民の場合とは異りたる規定の設けらるべきことは當然であらうと存ぜられます、將來皇室法規と稱すべきものは完全になくなつてしまひまして、天皇及び皇族にも形式上普通法規が適用せらるることとなつた曉に於きましても、天皇及び皇族の爲には普通法規の中に實體上相當な特例の規定を設けらるることが又當然であると感ぜられます、果して然りとしますれば、今日に於きまつて其の天皇及び皇族の爲にする特例の規定が將來どうなるか、其の詳細を豫定することは困難でありまするが、大體に於て現政府の御當局は、此のことに付て如何なる見解を持つて居られませうか、是が私の質問の第三點であります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=37
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038・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 今囘の憲法改正案は、個人たる人々に取りましては、所謂法律の下に於ける國民平等の原則を維持して居ります、從つて皇族で在らせられても純粹の個人たる立場に於きましては、國民と法律の上に於て平等の地位を御保ちになることは理の當然と考へて居る次第であります、併しなから皇族は皇位の繼承者であり、又攝政で在らるべき方であり、又はそれと密接なる地位に在らせらるる方でありまするが故に、其の見地に於きまして、特別なる理由の下に特別なる法律上の取扱があつて然るべきものと思つて居ります、從つて村上委員の仰せられました所に對しましては、原理的には左樣でありますと御答へして宜いと思つて居ります、併し唯特に御注意を願ひたいのは、現在に於きまして皇族の方方に諸般の法律の上に於て差別を致つて居りまする根據が、必ずしも私が今申上げました理由とぴつたり當つては居りませぬ、そこで如何なる部分に於て特別なる地位を認むべきか、如何なる部分に於て國民一般と同じ立場に置くべきかと云ふことに付きましては、此の新たなる標準に照らして研究をしなければなりませぬ、それは今日具體的に研究が進みつつある次第でございます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=38
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039・村上恭一
○村上恭一君 次に皇室の財産關係に付て質問致します、憲法改正案、衆議院修正の第八十八條に依りますれば、總ての皇室の財産は國有となり、總ての皇室の經費は國の豫算に計上して國會の議決を經ることとなるのでありまする、茲に皇室の財産とありまするのは、曩に申述べました如く、天皇の御所有に屬する御料と各皇族の御所有に屬する皇族財産とを包括するものではありまするが、事實上主要なるものは御料であらうと存じまする、古より君主國では、天子は國を以て家と爲すと云ふ觀念が行はれて居りまする、此の觀念は、君主は私に一物をき所有することなく、其の代り君主の必要な費用は一切國民が之を負擔すると云ふことを言ふのであると私は解しまする、君主に取つて必要な經費は全國民が喜んで之を上納すると云ふことを意味する點に於きまして、君主國の本來の姿を巧みに言ひ表したもののやうに思はれまする、それ故本案の第八十八條は、此の君主は國を以て家と爲すと云ふ觀念に適合するものとしまして、趣旨に於ては相當理由のあるものと私は考へまする、一部の人々はさうなつた曉には、例へば天皇の常の御殿のやうな建物も國有となる、天皇が之を借用されると云ふ姿として、それは餘りに畏多いではないかと云ふやうなことを言うて居るのでありまする、成る程其の間の法律的の成り立ちを言ひ究めますれば、或は賃貸借であるとか、或は使用貸借であるとか云ふやうな契約關係の存在を認められることになるのでありませうが、國の經濟と皇室の經濟との間には、本來頗る温い繋りがあるのでありまするから、其のやうな冷やかな法律的の論議は多く顧み慮るには當らないであらうと私は考へまする、處で、過日衆議院に於ける憲法改正案特別委員會の最終の日に於きまして、其の委員長と金森國務大臣との間に取り交はされた問答の一節として傳へられる所に依りますれば、金森國務大臣は天皇の御財産の中で、公けの資格に於けるものは國有となるが、私の御資格に於けるものは依然天皇の御財産として存續する、さうして天皇の御財産として存續するものは一般の人民の財産と同樣の取扱をすると云ふやうな趣旨を答辯されたやに聞くのでございます、果してさうと致しますれば、そこに私の疑問が生れて來るのでございます、元來皇室の財産は其の性格に於きましては皇室の私有財産であると私は思ひます、それ故にこの從來皇室法規たる皇室財産令に於きまして皇室の財産に付て御料及び皇族財産に付きましては頗る廣い範圍に亙つて普通法規たる民法第一編乃至第三編商法及び附屬法令が準用されて居るのでございます、然るに天皇の御財産の中に更に公私の御資格に依つて區別を設くると云ふ其の區別は果して如何なる標準に依つて與へられるのでございませうか、さうして天皇の所謂私の御資格に於ける財産は一般人民の財産と同樣の取扱をすることとしますれば、例へば、是は極端の場合を想像するのでありまするが、天皇の御財産と一般人民財産との間に爭ひを生じ、それが遂に民事の訴訟となつたやうな場合、此の訴訟は全然普通の手續に依つて處理されるのでありませうか、さうとしますれば、それこそ如何にも畏い次第であらうと私は存じまする、此のことは前に擧げました質問の第三點、天皇の權利、義務に關する實體的の特例規定の問題の一部分を爲すものでありまするが、茲に特に重ねて質問する次第であります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=39
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040・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 第一點、第八十四條に主として規定して居る所の、又第八條とも關係を持つて居ります所の皇室財産に付て御尋がありましたが、仰せの通り皇室財産は、從來は其の如何なるものたるを問はず、私有財産の如き考を以て進まれて居つたと云ふことは正しい觀方であらうと思ひます、併し其の本質上の意味は公けに用ひると私に御用ひになるとの二つの區別があつたこと、又公けに御用ひになる所の財源を爲し、或は私に御用ひになる財源を爲して居る點があつたことは認めざるを得ないと思ふのであります、大體古くから發達して參りました所の此の君主政治の國に於きまして、世の中の轉換に從つて斯樣に此の憲法の考へて居りまするやうな財産の新たなる解釋と、之に依つて生ずる變化が起つて來ることは自然の道行きでありまして、事例の多く示す所であると考へて居るのであります、今囘の此の憲法の改正案に於きましても、過去の傳統を踏襲しつつ、之にはつきり事の性質を見定めまして、天皇が公けのことに御用ひになつて居る財産、又は主として其の財源として御用ひになつて居る財産と云ふものは、是は天皇に私なし、國のことは國の費用を以てすべきもので、天皇の御費用を以て、國費用を御支辨になるべき譯ではない、斯う云ふ見地から國に移すべきものとしたのであります、併し他の一面に於きまして、天皇にも全く我々と類似する純粹の私生活があるのでありまして、其の範圍に於て御使用になり、又其の範圍の財源とせらるる所の財産があり得るのであります、と云ふことからして天皇の私的財産と云ふ觀念をはつきり見定めた譯であります、八十四條の言葉は誠に其の複雜なる内容を言ひ現すには適しては居りませぬけれども、前後の關係を綜合致しまして、左樣に讀めると信じて、衆議院の修正にも御同感を申上げましたし、又遡つて起案の文字も左樣な意味を含んで居つた譯であります、此處迄思想が展開をして行きまして尚はつきり致しませぬ問題は、それでは其の公的財産と私的財産は現實にはどうして分けられるかと、斯う云ふ問題が起らうと思ひます、併し是はなかなか簡單な議論一片では參り兼ねるのでありまして、現在の皇室の財産の動き方を竊かに、いや違ひました、傍から拜聽致しますと、相當錯雜したものであります、之を憲法の認める簡單な形に組直しますには、そこに處分的な色々な考慮が要ると云ふことを考へて居ります、兎に角其のやうな方針を以て天皇の私的財産と云ふものは、はつきり浮び上るのであります、と致しますと其の私的財産の中にはどう云ふものがあるかと言へば、はつきり言ひ究められますものは、御身邊にある所の、日常私用に御用ひになる財産と、斯う云ふことにまあ言へば、其の部分ははつきり致します、或は國の方から調出致します所の御内帑金の如きも或場合に蓄積されますれば其の方面の財産の内容ともなり得るものと考へて居る、斯う云ふ風に考へて居ります、そこで斯樣にしてはつきり天皇の私有財産と云ふ觀念が樹立致しますれば、茲に村上委員から先程御質疑になりました通り、それと他のものとの間に民法上の法律關係が起るのではないか、是は御尤でありまして、其のやうな問題が起りました時には、之を裁判に依つて解決する段階も現れて來ると思ひます、天皇無答責の規定は斯樣な場合に迄は當嵌らないものと考へて居ります、然らば其の場合の裁判の手續、例へば其の訴訟手續を現實に擔任する者は何人が之に當るべきかと云ふやうな問題になりますると、是は象徴たる御地位に顧みて、特別なる留意をしなければならぬと云ふことになるのでありまして、今日それの研究は進行中でありまして、決して恐らくは御趣旨に反する方面には向はないものと考へて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=40
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041・村上恭一
○村上恭一君 只今の論點は頗る重要なものでありますので、只今の金森國務大臣の御説明には私滿幅の贊意を表し難い所もありまするが、併し其の御答辯は一應了承して置きます、次に移りますのです、明治十八年十二月憲法實施の準備工作の一つとしまして、宮中の機關たる宮内省が一般國務機關たる内閣の外に置かれまして、茲に所謂宮中府中の區別を明かにする原則が確立されたのでございまする、次に此の頃聞く所に依りますれば、金森國務大臣は將來には宮中の機關も亦一種の國務機關となると云ふことを言明されたと云ふことでございます、それは言ひ換へれば宮中府中の區別を解消する趣旨と解されるが、それは果して事實でございませうか、果して事實なりとすれば將來宮中の機構は如何なる機構となるのでございませうか、それは國の立法部でもなければ司法部でもない、行政部に屬する外はなからうと思ひまするが、其の結果、宮中の機關は矢張り内閣に隸屬するものでございませうか、宮中の最高機關として宮内大臣が設けられますれば、それは内閣に列する一國務大臣となりまするのでありますか、若し又宮内大臣を設けないとしますれば、宮中の機關が内閣總理大臣の管理に屬する外局の如きものとなりまして、之に關する責任は擧げて内閣總理大臣が主管大臣として、之を負擔するのでございませうか、是亦事の詳細は、今日之を明確に豫定することは出來ないに違ひありませぬが、大體の構想に付きまして現政府の御見解を承つて置きたいのであります、是が私の質問の第五點でございます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=41
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042・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 御尋になりました點は、仰せの通りまだはつきり政府としては決めては居りませぬ、併し此の憲法の建前と致しまして、自ら歸着する方向は定つて居るものと考へて居ります、今日私は現在の宮内省の仕事を詳しくは存じませぬけれども、今日宮内大臣の所管せられて居りまする事務は、恐らく新しき憲法の立場から判斷を致しますれば、公けの地位に於かせられて居る天皇と、私の地位に於かせられて居る天皇との雙方に亙つて居るものと考へて居ります、其の私の地位に於かせられて居る皇室のことに付きましては、是は政府は直接關與する所はございませぬ、唯公けの立場に於て、即ち國の象徴であられ、又是と關聯して憲法六條、七條の權能を御行使になりまする範圍に於きましては、全く國の仕事として諸般の附隨事務を執行すべきものと考へて居ります、でありますから其の公けの方面に於きまする皇室の事務に於きましては、從前と面目を一新せざるを得ない、ものと思つて居ります、まだ茫漠たる考でございまするが、左樣な事務の中に於きまして、純粹の一般國務に移して宜いものもあるかも知れぬと思ひます、例へば外部的な御警衞の事務と云ふやうなことになりますると、是は一般の行政の中に融込んでも宜いかも知れぬと思ひます、さう云ふことも問題には供して居る譯であります、それから皇室に直接關係ある所の公けの事務に付きましては、是は御説の如く、何等か特別なる行政の主宰者があるべき譯でありまして、それを如何なる名に依つてなすべきか、如何なる組立てのものに依つてなすべきかと云ふことは、はつきり致しませぬが、國務大臣でないことは恐らく自然の結果であらうと思ひます、又仕事が内閣に屬する、即ち廣い意味の行政に屬すると云ふことも、是亦當然のことと思ひます、それを擁して行きますると、内閣のやうな程度の高い、外局的なものとして、之を構想することが一番筋の通るものではないか、現在の處では左樣に考へて居る譯であります、之をもつと簡單に申しますると、皇室に關する事務は、一部は事に依ると普通の國政事務の中に流れ込むのではないか、一部は純粹の皇室の御内輪の仕事ではつきり定つてしまふものではなからうか、さうして殘る公けの事務と云ふものに付きましては、内閣の總理大臣の所管に屬する、相當高級なる官廳が出來て、此處に於て擔任せられると云ふことになるのではなからうか、それは國務大臣ではない、こんな御答になると存じます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=42
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043・村上恭一
○村上恭一君 其の外、皇室の制度に關しまして、疑問を感ずる所は多々ないではありませぬが、斯樣な具體的な個々の事項に付きまして、餘りに微に入り細に亙ることは此の機會に於ける質問としては稍稍當を得ない嫌ひがないではありませぬから、私の質問は一應之を以て終と致します、金森國務大臣は新憲法に於ける天皇の御地位を説明して、屡屡天皇は國民の心の憧れであると云ふ言葉を用ひらふれました、そこで世間では取沙沃して、此の憲法は憧れ憲法などと申して居ります、果し斯樣なて言ひ現しを以て、新憲法に於ける天皇制の根本義を、國法的に十分説明することが出來るかどうか、それは私保障の限りではありませぬが、天皇及び其の御一家たる皇室が、全國民の心の憧れであることは間違ひのない所であります、正しく國民と僞りなき信念に於て飾る所なき情操に於て、紛れもない事實であります、從つて皇室の制に關しましては、形式は兎も角も、實體に於て相當の規定を設けらるべきことが、極めて當然の次第であると申さねばなりませぬ、時の政府が此の事に付きまして、十分の用意を以て最善の措置を取られむことを、私は切に希望致します、私は此の希望を申述べて、此の機會に於ける私の質問を結了致します発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=43
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044・安倍能成
○委員長(安倍能成君) それでは休憩致します、一時十分より再開致します
午後零時九分休憩発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=44
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045・会議録情報3
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午後一時二十二分開會発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=45
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046・安倍能成
○委員長(安倍能成君) 會議を再開致します、佐々木委員、總理が丁度豫算委員會においでになつて居りますので、掛合つては居ますけれども、金森國務大臣は御出席になつて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=46
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047・佐々木惣一
○佐々木惣一君 私は總理大臣に御願したい部分があると言つて置きましたけれども、それは必ずしも總理大臣の御答辯を得たいと云ふ譯ではないので、金森國務大臣でも宜いのです、總理大臣に聽いて戴きたいと思つたのです、それで矢張り順序を追つてやります、第一と致しましては天皇に關する國家制度と國民の意思、斯う云ふ風に掲げて置きましたけれども、其のことに付て又色々質問を分つて御尋したいのですが、第一の質疑の點は天皇に關する國家制度と國民の意思、斯う云ふ風に題してあります、其の題の意味に色々の黠を御尋ね致したいと思ふのであります、其の一つと致しまして、金森國務相が先日來色々機會に於て御答辯と申しますか、御説明をなさいました中に、現行憲法に依つて定つて居りまする所の天皇の地位と云ふものに關して、從來は神祕性である、或は非現實性であつた、それを今度改めて神祕性を何と申しますか、無くし、又現實性を明かにすると云ふやうなことを仰しやつたのでありますが、それで私は先づ第一に其の所を意味は能く分らないけれども、從來と云ふよりも、今日まだある憲法でありますが、今日ある憲法に於て天皇が御持ちになつて居る、或は又憲法の方が、法制が定めて居ります所の天皇の地位迄神祕性だとか、非現實性だとか云ふことは、一體どう云ふことを言ふのであるか、其のことを一つ御尋したいと思ひます、私自身の考を先に申しますれば、決して神祕性だとか非現實だとか云ふやうなことではないと思つて居りますから、それを御尋ね致したいのであります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=47
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048・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 私が前に御説明を申上げて居りましたのは、今日の天皇に對する基本的な原理が神祕性に基いて居ると言つた覺えはありませぬ、神祕性を含んで居る考へ方、それから現實的な考へ方に依るものと二つの思想の流れがあつて、過去に於ては神祕的な考へ方に依るものの方が強かつたのであります、又それが或場合には殆ど全部であるかの如き姿を生じた、斯う云ふことを申したのであります、そこで其の御質疑に當りまする神祕性と云ふやうなことを申しました私の心持を申しますると、天皇が統治權の總攬者で御ありになることは固より憲法に決つて居ります、而して何故に斯くあるか、何故に是が國民を其の文字の内容に從つて拘束するかと云ふことの根源となる考へ方が結局神勅とか、或は之を取圍んで居る所の神話とか云ふものに對する國民の考及び其の考を利用しての説き方が根據になつて居る、斯う云ふやうな意味に於て申したのであります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=48
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049・佐々木惣一
○佐々木惣一君 私の言葉が足りなかつたかも知れませぬが、或は大臣の是迄の御説明と結局同じであると、さう云ふ意味で理解して御尋したのであります、處が私の考に依りますと、今日天皇が統治權の總攬者として御持ちになつて居る地位、それに從つて我々が天皇の御行爲と云ふものに、我々の行爲の法的覊絆力を持つて居ると云ふことは、實は私の考に依りますれば、神勅に依るとか、さう云ふことではないと私は思ひます、殆ど其の神勅なるものを思つて居る人も何もないのでありまして、今日は唯私が我が國家の制度上天皇がさう云ふ地位を御持ちになつて居る、さうしてさう云ふ位置に於て我々に色々の命令と申しますか、或は又指揮をなさいまするとか、詰り我々が天皇の意思に從ふと云ふことの根源であつて、それが神勅に依るとか何とか云ふことはそれは固よりさう云ふ風に説明する人もありませうし、又さう云ふやうな事柄で説明をして歴史的に言つても宜いと思ひますが、併しながら其の天皇が統治權の總攬者として我々に仰しやることが我我を拘束する、其の根據がさう云ふ神勅に依つて居るのだと云ふやうなことを考へて居ると云ふことは、我々としては當然理解出來ない、固より色々の歴史や何かで、神勅などを説明せられることはありませうけれども、私は一般國民はさう云ふ神勅に依るのだとか、さう云ふやうなことから天皇の意思に從つて居ると云ふやうな思想はないと私は思ひますが、併しそこの所はさうだと言へばそれ迄のことでありますけれども、私はさうは思はない、それで第二點にそれは支障ありませぬが私はさうでないと思ふけれども、第二點に御尋ね致しますのは、天皇が統治權の總攬者として、我々の行動を規定せられるやうな、さう云ふ御力を御持ちになつて居ると云ふこと、それは即ち制度ですが、それは矢張り制度に據つて居るのであつて、其の制度と云ふものは、何も帝國憲法と云ふ成文法規と云ふ意味では固よりありませぬが、要するに我が國の古來からある、さうして今日帝國憲法と云ふ成文として現はれた、さう云ふ制度に據つて居るのであるが、元來此の制度と云ふものが制度一般として見て、我々國民が之を據つて居るから存續して居る、それでありますから、其の意味に於きましては天皇の統治權總攬者として、制度に依つて定まつて居ると云ふのも、結局は國民の意思で據つて居るのだ、斯う云ふ風に私は解釋して居るのですが、そこでさう云ふ解釋は誤つて居るかどうかと云ふことを、第二點として御尋ね致したいのです、其のことに付てちよつと私の考を一言言はして戴きますが、私の考に依りますれば、凡そ國家の制度は如何なる内容のものでありましても、國民が之を擔つて居ると云ふ言葉を私は豫て使つて居ります、之を擔つて居るからして存在して居る、又之を擔つて居る限りに於きまして存續するのであります、從つて國民が其の制度を擔はないやうになつたら、其の制度と云ふものは結局廢滅に歸する、其の廢滅に歸すると云ふのは立法的、成文法的の手續に依ると云ふやうなことを必ずしも言ふのではありませぬが、さう云ふ制度は何時か立法的に廢止されるより外はないのであるし、又廢止されなくても結局皆が從はぬと云ふ意味に於て廢滅に歸する、此の意味に於きまして、私は國家の制度は、常に國民の意思と云ふものが其の存續の基礎だと、斯う云ふ言葉を平常から使つて居るのであります、そこで國家制度の國民的基礎と云ふやうな言葉を私は使つて居りますが、それは憲法だらうが、他の民法、商法だらうが同じことである、從つてどう云ふ制度がどう云ふ規定を設けて居ると云ふ、規定の内容とは無關係でありまして、凡そ一般の制度はさう云ふものだと思ひますが故に、天皇と云ふ制度でも矢張りそれが存續すると云ふことの爲には、其の天皇と云ふ制度を擔つて居りまする所の我々國民が、擔はなくなつたらそれは無くなると云ふ考を持つて居る者であります、併しさう云ふ風に考へることは金森國務大臣の御考では御贊成でありませぬでせうか、或は餘程違つて居りませうか、それだけのことをちよつと…発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=49
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050・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 擔ふと云ふ比喩的な言葉を御使ひになりましたから、尚多少先の發展を懸念して居りまするけれども、今迄伺ひました範圍に於ては私も左樣に考へて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=50
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051・佐々木惣一
○佐々木惣一君 さうでありますか、擔ふと云ふことは私も文字に甚だ困つて居るのですが、只今私の申上げましたことで大體分ると思ひますけれども、それは國家制度の内容たる規定其のものとは關係ないことでありますから、そこで斯う云ふ風に考へます、それは天皇が、今、現に統治權の總攬者であると云ふやうに制度としてはなつて居ると云ふやうなこと、それから又今度それを變へまして、さうして或一人の方が天皇たる位置に即かれると云ふことが、國民の意思に基くと云ふやうなことで、さう云ふこととは全然關係がないことである、内容とは無關係である、それで其の意味に於きまして、今囘のやうに或御一人が天皇と云ふ地位に即かれることが、國民の總意に依ると云ふことは、是は矢張り制度なんですから、さう云ふ制度にすることも、或は又從來のやうに天皇が別に國民の意思に依つて、さう云ふ總攬者の地位に即かれるのではない、當然に、法に依つてさう云ふ御血統に出でられて居ると云ふが故に、天皇の地位に即かれると云ふことも、同じく國民の意思と云ふものと制度として繋がつて居るのである、其の點は何にも差異がない、それでさう云ふ國民の意思と云ふものと何等繋がりなしに從來のものがあつた、國民の總意と云ふやうなものと無關係にあつたと云ふやうなことからして、何か私先刻申しました神祕性と言つてはいけないのかどうか知りませぬが、神祕的なもの、非現實的のものであると云ふやうな見地からして、今囘の憲法が、現實的に或は神祕性を剥いだと云ふやうなことであるならば、それは詰り凡そ制度は之を擔ふ國民の意思と云ふものとの關係に關するどうも誤解のやうにも私は思ふのでありますが、それで此の間以來伺つて居りますと云ふと、我が國の天皇が所謂皇祖皇宗の後裔として、其の御家であるが故に、天皇の地位に當然に御即きになると云ふやうなことが、今日迄はそれ自身國民の意思になつて居る、それでありまするから何にも國民の意思と云ふものと繋がりが無いと云ふやうなことではないと私は思ふのでありますが、其の點はどうでありませうか、さつき申しました意味に於て矢張り國民の意思と繋つて居るのではありませぬか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=51
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052・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 左樣に思ひます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=52
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053・佐々木惣一
○佐々木惣一君 さうすると云ふと、此の間以來屡屡伺ふのでありますが、所謂神權説とか、神授とか、神話とか云ふやうなものに、思想的な基礎があるとかどうとか云ふやうなことは、どうも私は現行の憲法をどう改正するかと云ふことは別でありますけれども、現行憲法が我々國民の意思を羈束致して居りますることに付ては全然當らぬやうに思はれますが、神權説とか、神話とか、神授とか云ふことは、斯う云ふ言葉は、神話でも何でもない、神權説でも何でもない、詰り今申しましたやうな、さう云ふ御家に御出になつて居る方であるからして、單にそれ故に我々之を君主と仰いで居ると云ふことは、神話で神權でも、神授でも何でもない、我々の意思其のものであると考へて、私は斯う云ふことを伺ふのでありますが、今日私はどうも從來の憲法を廢しまして、次の憲法になる、其の善い惡いを言ふのではありませぬが、其のことの爲に從來の憲法が何か神話とか、神授とか、神權説と云ふやうな…神權説となりますと君主の地位に關してでありますが、さう云ふやうなことを附加へて説明することは、どうも私は却て社會の誤解を招きはしないか、從來の憲法に付ても、誤解を招きはしないかと斯う云ふ感じがあるのでありまして、此の間頻りに此の言葉が出て居りますので一言致しますが、神權説とか何とか云ふことは、元來日本の天皇の地位と云ふやうなことに付ての説明には別に當らぬので、唯穗積先生がさう云ふ説明を爲さつたことがありますけれども、是は國家が、或は君主でも宜しうございますが、此の時には國民に對しまして、國民は何と申しましても自由を喜びますから、人の權力の下に束縛されると云ふことは好みませぬ、それにも拘らず國家或は又それを表現しまする所の君主の權力に依りまして、自由を束縛されると云ふやうなことは、一體どう云ふやうな意味であるか、詰りどう云ふ根據に依つて、さう云ふことを説明することが出來るかと云ふ時に、是は御存じでありませうけれども、一體我々は宗教上、世界を宗教的に支配して居る所の絶對者がある、それを神と謂ふ、其の神の命令には從はなければならぬ、私共は矢張り多少宗教的でありまして、さう云ふ絶對者があるかどうかは別と致しまして、さう云ふ絶對者に從はなければならぬと云ふ感じを持つて居ります、處が君主と云ふものが、或は國家でも宜しうございますが、君主と云ふものが、所謂宗教的の意味の權力者と云ふものから我々國民を支配すると云ふ、さう云ふ力を授かつたのであるか、即ち我々がさう云ふ絶對的の神樣のやうな、さう云ふ絶對者に從ふと云ふのであるならば、さう云ふことを認めるものであるならば、即ち論理的に、其の絶對の神の神權と云ふものを授かつて、其の神權として我々を支配して居ると云ふ、さう云ふ君主と云ふものの權力を認めざるを得ない、さう云ふ君主又は國家の我々を拘束ししまする其の根據の説明として神權とか何んとか云ふことを言つて居るのでありまして、決して我が國の天照皇大神宮、あれを神樣と言ふからして、其の子孫が詰り君主の位に即くと云ふやうなことを説明するやうな場合に當嵌めるべき學説ぢやないと私は思つて居るのであります、元來我が國に於ける天照皇大神宮を神樣とか何とかと云ふことは、それは我が國だけで云ふ神樣でありまして、絶對的の、宗教的意味の世界を支配すると云ふやうな意味に於て言はれて居るものでないと私は思ひますから、そこで少し意見のやうになりましたけれども、大臣も時々仰せられたのでありますけれども、從來我が國の天皇と云ふものに對して我々が持つて居つた思想が、所謂神權説と云ふやうなものと、何か關係がある、或はそれに似て居ると云ふやうなことは私はどうも當らぬと思ふのでありますが、如何なものでありませうか、是は特別に御答辯を願ふ程のことではないが、私は要するに此の神權説と云ふやうなことは我が國のこととは關係がない、是は何故にさう云ふことを申しまするかと云ふと、斯う云ふ神權説とかなんとか云ふことを言ふと、之をどう説明致しましても、將來の即ち國民統合の象徴とかなんとか云ふやうなことが却てさう云ふ神權説みたいなことになつてしまつて、斯う云ふ説明を以て行くと、却て新憲法に於きまする所の天皇の地位も何んだか神祕的のものを少くとも外國人には思はしむるやうになりはせぬかと思ふのですから、まあ我が國の神權説とかなんとか云ふものは將來は勿論のこと、現在もそんなやうなことには關係ないやうに説明したらどうかと、斯う云ふ風に思つて居るのであります、之に付ては別に御答辯を煩はす程のこともありませぬが、是が即ち私の意見であります、それからそれに關聯しまして、從つて天皇が統治權の總攬者でありますから、詰り此の統治權の總攬者であると云ふこと自體が、今申しましたやうに、我々國民の意思と云ふもので之を擔つて居る、國民の意思に基くと言ふと工合が惡いのですが、國民の意思で擔つて居る、我が國としてはさうあるべきものだと、斯う云ふ風に考へて從つて居つたと、斯う云ふ風に私はなるのでありますが、併しながら國民の意思、我々がさう云ふ風に考へて居つたのだと云ふことと、今度新憲法に依りまして、詰り國民統合の象徴であると、さう云ふやうな地位を天皇が御持ちになることは、國民の總意に基くと云ふのと、私の所謂國家の制度を以て擔つて居ると云ふことの意思は全然違つて居るのでありまして、同じ意思は意思でありますけれども、基くと云ふのは、現實に其の地位に御即きになつて居る其の方々が皆國民からさう云ふ力を授けられたと云ふことが基くと云ふ意味であるかと思ふのであります、私共の言ふ國家の制度が、國民の意思がそれを擔つて居ると云ふのは、さう云ふ制度其のものが國民の意思に依ると、斯う云ふことでありまするから、私共の考に依りますると云ふと、内容の如何に拘らず、結局國民の意思が之を擔つて居ると云ふことになるのであります、さう云ふ立場に致しますると云ふと、私の考では、此處で御尋を致したいのでありまするが、將來は知りませぬです、今日天皇がああ云ふ意味に於て統治權の總攬者であつて、さうしてああ云ふ御家においでになると云ふこと其のことから我々が統治權の總攬者として仰いで居ると云ふ、さう云ふ制度になつて居ると云ふ我々の意思がどうして今日なくなつたと認定出來るかと、斯う云ふことであります、之を新憲法で申しますると云ふと、今日ああ云ふのでなしに、其の時々の天皇が總て其の地位を、直接に我々國民の意思に依つてさう云ふ地位を得られたのだと、國民から言へば、さう云ふ地位を我々國民の意思が授けて居るのだと、さう云ふやうな意識ですな、是はさう云ふ制度にせなければならぬと云ふ意識です、制度を擔ふ意識でありますが、さう云ふ意識が國民の方に今日あると云ふこと、認識があると云ふことがどうして言へるかと、斯う云ふことでありますが、それを何か御説明が出來れば一番宜いと思ふのです、もう少し之を申しますると、矢張り國民の傳統的感情と云ふもの、或は傳統的意識と申しまするか、是はどうも尊重しなければならぬ、そこで凡そ國家の制度を定めまする時に、殊に斯う云ふ憲法を定めて、さうして天皇のさう云ふ地位と云ふやうなことを定めるやうな時には、是は立法者、我々自身でありまするが、さう云ふ國家の機關としての立法者は、自己の個人的の感情と云ふものに捉はれないで、即ち其の時に現に存在して居りまする所の傳統的の國民感情と云ふものは、是は客觀的に觀て行かなければならぬ、從つて私が假に天皇は厭だ、天皇制度と云ふものは詰らぬと思つても、我が國の國民が一般的に天皇と天皇制度と云ふものをまだ維持して居ると云ふ風に考へられる限りに於きましては、自己の感情は別にして、一般國民の傳統的の感情と云ふものを尊重するのが制度の建前なんで、私自身が如何に天皇と云ふものを尊重する、天皇制度を尊重すると云ふやうな考を持つて居りましても、併しながら國民的感情が既に傳統的の感情と云ふものを棄て、皆もう天皇制度と云ふものは詰らぬ、天皇は詰らぬものだと、斯う思つて居ると云ふ風に客觀的に考へられる限りに於きましては、自分としては天皇制度が宜いと思つても、國家の制度としては社會、國民の客觀的な意識と云ふものに從つて行かなければならぬ、從つて天皇制廢止と云ふことにどうしてもならなければならぬと、斯う云ふ風に考へますが、斯う云ふ制度を立てる時には、さう云ふ點から見まして、今日我が國の一般國民が從來、たつた此の間迄傅統意識だ、傳統意識だと言つて居つたものが全部なくなつて、さうして天皇制と云ふものはもう棄ててしまふと云ふやうな、さう云ふ一般的意識と云ふものがあると、斯う云ふ風に認識して宜いのでありませうか、それだけのことをちよつと御尋して見たいと思ふのであります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=53
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054・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) ちよつと初に遡りまして、擔ふと云ふ言葉に付きまして私は非常な疑を持ちつつ御贊同を申上げましたけれども、段々言葉が深く入つて來るに從ひまして、私の了解する意味と、佐々木委員の了解して居る意味とは、今の處では毫末の違ひはありませぬが、將來違ふやうに發展すると思ひますが、一應申上げて置きます、私は改正憲法第一條に於きまして、基くと云ふことは授けると云ふやうな意味に御説明を申上げましたことは一遍もありませぬ、基くは基くであり、授けるは授けるであつて言葉の持つて居る内容は相當違つて居ります、私は此の重大なる言葉を説明致しまするに際して、決して、基くに授けると云ふやうな意味を含ませたことは、恐らく絶對にないと信じて居ります、そこで擔ふと仰せになりました言葉は、私は此の基くと云ふ言葉と同じやかな御趣旨ではなからうかと思つて御贊同申上げたのでありまして、若し先で違ふならば、私の贊同は始から取消すと云ふことになりますし、此の言葉と同じ意味であるならば、飽く迄御贊成と云ふことになるやうに御了解を願ひたいと思ひます、次に今御尋になりました本問題に入りまして、國民は果して、此の憲法の第一條の國民の總意と云ふやうな段階に來つて居るのであらうか、若し國民が、さう云ふ段階に來つて居ないのであるならば、此の機關たる立法府は、それを其の通りに解釋すべきものであり、それ以上の方法を採るべきものではないではないかと云ふやうな御氣持で御質疑になつたと思つて居ります、私は國民諸君が、恐らく此の憲法改正案に對して、大體の方向に於て贊成して居らるるのぢやないかと、斯う信じて居ります、それは今迄の衆議院其の他の新段階及びそれを中心として、あちらこちらに起つた空氣、新聞其の他の言論機關の現はれもあります、さう云ふものを綜合して考へて見まして、恐らく斯う云ふ處に來て居るものと私は思つて居ります、併しながら、縱んば、此處迄來て居なくても、私竊かに考へまするに、此の議會の諸友、即ち國民を代表せられて居る方々は、石の如く固つて居る國民を代表せられて居るのではなくて、生生發展して行く處の國民を代表せられて居る譯であります、でありますから國民は今眠つて居るにしても、皆樣方の頭の中に、若しも其の伸展する氣持を持つて御判斷になるならば、即ち生ける國民を代表して居られる次第ではなからうかと私は考へて居ります、從つて國民の各個は曩にも申しましたやうに、實際此の段階迄大筋に於ては來て居る、細かいことを總ての人が知つて居る譯ではありませぬ、直感的又は荒筋に於て理解して居ることは、疑ありませぬが、縱んばそこ迄周到に行かなくても、此處に御集りの方の、謂はば總説的なると申しますか、總説的なる御判斷に依つて、國民の總説的なる氣持を御代表になることが然るべき筋合のやうに僣越ながら考へて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=54
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055・佐々木惣一
○佐々木惣一君 只今國務大臣の御説明のことは能く分りました、そこの所は大分違ふのですが、詰り斯う云ふ問題に對して、國民の傳統的感情、傳統的意識と云ふものは尊重すべきであると云ふことには御贊成のやうに見受けますが如何ですか、唯今日は、さう云ふ國民の傳統的の感情なり、意識と云ふものが既に變つて、新憲法に於けるが如き状況になつたと云ふ風に御認識になるのですから、此處の處は仕樣がないと思ひますが、私の考へる處では、此の憲法が、實際は國民に少くとも能く分つて居なかつたのでありまして、何日でしたか、衆議院の方で拜聽したのですが、或は速記録で讀みましたか、此の憲法が始に斯んなことになると云ふことが國民に知られて居つたならば、我々代議士の大半は當選出來なかつただらうと言ふた人もありますから、私はどうも傳統的の國民感情が、此の新憲法に於て盛られむとして居る、さう云ふ天皇の地位の根據に關して、其の傳統的精神感情が、さう云ふ風になつてしまつたと云ふ風にはどうも考へられないのですけれども、併し唯茲に國民の傳統的精神と云ふものの如何に拘らず、兎に角法を作つてさう云ふ方向に國民の意識、感情と云ふものを向けて行くと云ふ御説明ならば私は分る、其のことに贊成するとせぬとは別にして分るのでありますけれども、さうでなしに、唯國民の傳統的意識、感情と云ふものが此の内容になつて居ると云ふ風になるので、是は國民意識の感情的の判斷の實際でありますから致し方ない、其の基くと云ふのは授けると申しましたけれども、授けると云ふ其の法的意味のさう云ふ行爲があると云ふことではありませぬ、要するにさう云ふ地位に就かせて居ると云ふ國民の意思作用、意思組織と云ふものがあると云ふことを言ふのでありまして、寧ろ授けると云ふ特別の行爲があることは疑ひないことであります、それだけはちよつと御説明申上げます、併し是はどうも何と言ふても仕樣がないことでもありまして、私も勿論凡そ法制の役目と致しまして國民的に既に存在して居る所の意識、感情の如何に拘らず法の方が先に進んで、國民的の意識、感情を即ち導いて行くと云ふことの必要があることは固より認めます、唯併しながら我が國體に關する統治權の總攬者の地位をどうして決めるかと云ふやうなことに相成りますると、少くとも我が國に於きましては矢張り國民の傳統的感情と云ふものを尊重して、從つてそれがどうであるか、どう變つたかと云ふことは極めて客觀的に、制定のことに當る者の個人的の主觀的の意思感情とは離れて、從つて自分の主觀的、個人的意識と別の内容を持つた法制をも作らなければならぬと云ふ考を持つて居りましたものですから、其のことを御尋したのです、それ以上は此の點に關してはどうも仕樣がありませぬから、さう致しまして、そこで今度は大變重なるやうで相濟みませぬけれども、此の機會に言はして戴きたいことは、言葉の問題でありますが、今のことと直接には關係ないことでありますけれども、先日來國體と云ふ言葉が頻りに使はれて居りますが、御存じのやうに其の國體論を此處で再び繰返すのでは決してありませぬ、唯國體々々と言ふて居りますものの中に、言ふ迄もなく言葉ですから、其の言葉が先日來あります通りに茲で國家制度と言ひますか、詰り國家の制度に於ける或技術を言つて居る場合と、國家の或状態に付て言つて居る精神的の、從つて倫理的の道徳的の状態に於ての國柄、國家の制度、精神とかと云ふことではなしに、國柄と云ふことを言つて居る場合と二つあると云ふことは、此の國體の意義が、是は昔から少しでも其の方のことをやつて居る者は皆言つて居ることでありまして、此の國體の、さう云ふ言葉の使ひ方、それからさう云ふ國體と云ふことに付ての議論も色々ありましたことは、私嘗て書物に書いて居りますから、金森さん暇な時にでも御覽下されば大變有難いですが、併し此處で言つて居るのは即ち國家の制度に於て天皇がどう云ふ地位を御有ちになつて居るかと云ふ、さう云ふ點に著眼しての國の姿を國體と言つて論じたことは是は疑ひない、唯併しそれとは別に凡そ國家の精神的の姿と云ふものを國體と云ふ言葉で言つて居る者もあることは、是は當然のことと私も書いて居りますが、當然のことであるのですね、其のことを再び申上げるのぢやありませぬが、そこで國務大臣の仰しやる心の繋りとか、國民の心の繋りとか何とか云ふことは、是は即ち精神的の、或は倫理的の、道徳的の國の姿と云ふものを觀た、さう云ふ方面の國體と云ふ言葉であると云ふことはどうも疑へないと考へます、だから、さう云ふ方面から觀ることが惡いと云ふのぢやありませぬよ、さうである、そこで一つ御尋して見たいのでありまするが、一體さう云ふ心の繋りとか、憧れの中心になるとか、さう云ふやうなことは、さう云ふ國家の基本的な姿と云ふものは天皇が國家の政治上の面に於て、どう云ふ地位を御持ちになつて居るかと云ふことと無關係にしなければならぬものであるかどうかと云ふことを、ちよつと御尋ね申上げたいと思ひます、もつと具體的に申しますれば、詰り天皇が統治權の總攬者と云ふ地位を御持ちになつて居ると云ふ、さう云ふことがなくなつてしまつたならば、從來から他の面に於て天皇が、詰り我が國に於ては、我が國の姿と云ふものは道徳的に、精神的に、倫理的に特殊の性格を持つて居るやうな國の姿でありまするが、其の道徳的に、精神的に特殊の一つの姿を持つて居ると云ふ、其の姿が實は國家の政治的の姿と無關係にはあり得ない、詰り天皇が統治權の總攬者であられて、さうして色々國家の爲にも一生懸命に御盡し下さつて居る、今日色々の御話も出ましたが、天皇に私生活なしと云ふやうな、さう云ふ其の政治を爲さる天皇の統治權の總攬者としてのあり方と云ふものを含んで、國の精神的、道徳的の姿と云ふものが、私は出ると思ふ、言ひ換へて見ますれば、天皇が統治權の總攬者であると云ふ状態が一遍失はれてしまつて、是は今は我々は隋性を持つて居りますけれども、段々と此の状態がずつと長く續きましたならば、其の結果我が國の所謂他の意味に於ける國の姿、即ち精神的、道徳的と云ふやうな、さう云ふ國の姿其のものが變つて來はしないか、斯う云ふ考を持つのであります、そこで概念的にはさう云ふ政治の面から觀た國の姿と、それから政治の面でなしに、道徳とか倫理とか總ての有らゆる方面から觀ました國の姿と云ふものは、無論概念的には別の觀念とか内容を持つた姿でありまするけれども、併しながら全面的に精神的の國の姿と云ふもの其のものが、實は政治的な國の姿にも影響があると斯う私は思ふのです、で天皇が是迄のやうに統治權の總攬者であると云ふ地位をなくせられたと云ふことになりますると云ふと、今は知りませぬけれども、段々と我國の所謂精神的姿なる意味に於ける我が國の國體も變つて來るのではないか、斯う云ふ風に思ふのでありまするが、それでさう云ふ點に付ての大臣の御考をちよつと實は御尋して見たいのです発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=55
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056・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 御質疑の點は一面に於て肯定すると共に、一面に於て否定を申上げたいと思つて居ります、其の意味で此の二つのものが現實の世界に於て相當の關係を持つて居ると云ふことは疑ふべくもないと思ひます、併しながら其の關係はどう云ふ割合で來るのかと云ふ數量的な計算と云ふものは餘程困難でありまして、日本の過去の歴史に付きましても、皇室の御權能の幅は時と共に變つて居りますけれども、併し之に對する國民は愛敬の念の深さと云ふものは必ずしも其の分量と比例はして居ないと思つて居ります、そこで斯樣なことを御答と致します発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=56
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057・佐々木惣一
○佐々木惣一君 いや、それは能く分りますが、私は統治權の總攬者と云ふことの、個々の場合に天皇が權能を御發動になる、個々の場合の事例などを言ふのではありませぬが、例へば先般來屡屡御話の出て居りました、詰り近くは徳川時代、其の前に遡つては其の時代の幕府であると云ふやうな時でも、兎に角それは天皇は殆ど實際の政治の事實はやられなかつたのであります、總て將軍の方に、幕府の方がして居つたと思ひますけれども、併しながらそれは天皇が統治權の總攬者として、さうして其の實際の政治を行ふと云ふことを委ねられたのだと、斯う云ふ觀念から出て居つたと思ひます、昔の歴史のことは詳しくは知らぬけれども、併し少くとも維新の時に於きまする、即ち慶喜將軍の天皇に所謂大政を奉還せられたと云ふことの中に、是迄は天皇が政權を委任せられて居つたと云ふ、委任と云ふ言葉をはつきり書いてある、天皇の御委任に依つて其の政治を行つて居つたのだけれども、是からは其の委任を解いて戴いて、政治を陛下に奉還すると、斯う云ふ風に申して居りますから、そこで大臣が今仰しやつたやうに、政治の行はれる實際に於ては幅があるに違ひないけれども、併し幅がどんなに狹まつて見ても、狹ければ狹い幅の儘に、それは結局統治權の總攬者たる天皇の御地位と云ふものから我々に授つたものだと云ふ思想は、其の將軍連中自身に、天皇を蔑ろにして居るけれども、併しながら蔑ろにして居りながら、さう云ふ思想があつたと云ふことは、どうも是は疑ひない、古い歴史は知りませぬけれども、少くとも維新の歴史に付てそれを言へば、はつきりそれが言へるのである、斯う云ふことになるのでありますから、私は今金森國務大臣の仰しやつた其の沿革は分らぬことはありませぬけれども、併し將來天皇の統治權の總攬者たる地位が段々なくなつてしまつて、本當を言へば空のやうになりますと、段々國民の精神と云ふものが變つて、或は虞る、幾十年の後には天皇に對する金森國務大臣の仰しやる心の憧れ自體がなくなりはしないかと、斯う云ふ憂ひを持つのであります、金森國務大臣の仰しやる心の憧れと云ふことが分らぬではないけれども、さう云ふものが政治的の地位と無關係の、心の憧れと云ふものが永久續くと云ふ御考に私は疑問を持つて居るのですが、斯う云ふ點に付て、若し大臣の何かちよつとでも御意見を伺ふことが出來れば幸ひですけれども、無理に言ひはせぬ、それで宜しうございます、何か言つて呉れませぬか、(笑聲)それぢや宜い、それでは次の點に移りまして、第二と致しまして、皇位繼承の資格と云ふ點に付て、論點を今度は少し具體的に、法理的のことになりますが、宜しうございますか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=57
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058・安倍能成
○委員長(安倍能成君) 成るべく簡單に…発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=58
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059・佐々木惣一
○佐々木惣一君 それで第二の問題と致しまして皇位繼承の資格と云ふことに付て御尋ね申上げたいのです、是は私は皇位繼承と云ふことをちよつとどう云ふ意味、是は今の法典がありますから、まあそれは宜いです、止めて置かう、其の中の一點として皇位繼承の資格と云ふものに付きましては、今囘の憲法草案には實質的に何の規定もないのですね、「皇室典範の定めるところにより」とはありますのです、固よりそれはあるけれども、併しながら「世襲のものであつて、國會の議決した皇室典範の定めるところにより」とあるのですが、そこで先づ世襲のものであると云ふことは一體どんなものでせう、どう云ふ意味なんでせうか、所謂今日の現行憲法に於ける萬世一系と云ふのと違ふのでありませうか、違はないのであるか、是は細かなやうなことですが大事なことですからどうか…発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=59
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060・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 本質的には現行の憲法と異なる所はないと考へて居りまます、唯現行憲法は萬世一系と云ふが如き多少比喩的な文言を使つて居りまして、現實的なる言葉ではありませぬ、それを現實世界の素朴なる言葉に表はすと云ふことが主眼となつて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=60
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061・佐々木惣一
○佐々木惣一君 比喩的と仰しやるのは私には分らぬのですけれども、萬世一系と云ふのは此の帝國憲法で始めて出來た言葉ではなくして、それ以前から使つてある、それには實質が入つて居る、即ちどの系統、どの家の方と云ふ、所謂皇祖皇宗、祖宗の皇統に屬すると云ふことは、萬世一系と云ふ文字に入つて居る、單に世襲と云ふことではない、萬世一系と云ふのはどの系統に屬するかと云ふやうなことと無關係で、唯世襲とあるのでありませうかと云ふことを御尋したのであります、世襲と言つても祖宗の皇統に讓る所の其の世襲と云ふ意味であるか、萬世一系と云ふのはちやんと實質が入つて居る、帝國憲法に於て始めて出來た文字では實際はありませぬ、それは重きを置くものから言へば非常に重大な所です、それはまあそれで宜いと致しまして、それからもう一つの點は「世襲のものであつて、」「皇室典範の定めるところにより」と申しまするが、それならば世襲のものであると云ふこと、是は議論にも何にもなりませぬ、さうだと仰しやればさうである、男系の男子と云ふのは男子でなくとも宜いかと云ふことです、皇室典範さへ決まれば問題でも何でもありませぬ発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=61
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062・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 男系の男子と云ふことは第二條には限定してありませぬ、其の趣旨は根本に於て異なるものありとは考へませぬけれども、併し時代々々の研究に應じて或は部分的に異なり得る場面があつても宜いと申しますか、さう云ふ餘地があり得ると云ふ譯で斯樣な言葉になつて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=62
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063・佐々木惣一
○佐々木惣一君 要するに其の時時の事情に應じて皇室典範で總て定めさせる、斯う云ふ意味でありますか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=63
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064・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 左樣でございます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=64
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065・佐々木惣一
○佐々木惣一君 其の點に付きましては私は意見を言ふのぢやありませぬ、ぢやさう解釋致しまして、唯此の憲法にももう少し實質的のものが入つて宜いぢやないかと思ひますけれども、例へば男子と云ふやうなもの以外に女子と云ふものを認めるか認めぬかと云ふやうなことは、是はどうも或は大臣の仰しやるやうに其の時々の事情に依つて皇室典範で決めても宜いと云ふこと、實は私自身も其の意見ですが、併し男系か女系かと云ふこと位は、是は皇室典範で自由に定め得ると云ふことは餘り廣いかと思ひますけれども、それは御趣旨は分りましたからそれで宜しうございますが、そこで三點になりますけれども、皇室典範の性質と云ふことをちよつと御尋ね致したいと思ひます、それで御存じのやうに國務大臣の從來の御説明ですつかり分つて居りますから、私は非常に有難いのです、皇室典範は皇室の私法でなく、國家の國法だと云ふことがはつきり憲法でも御説明でも出て居ります、此の問題に付ては私自身も皇室の私法的のものでなく、國家の國法だと云ふことから或有力な學者のひどい反駁を受けて居る位でありますから…、併し此の點に付ては私ははつきりした金森さんの御説明に滿足をして居るのです、處がそれはそれで宜いのでありますが、御尋ね致したいのは、皇室典範と云ふのは矢張りさう云ふ特別の形式なのでありますか、唯普通の法律と同じやうなものであるか、それならば別に「皇室典範の定めるところにより」と云ふやうに憲法に規定しないでも、別に法律を拵へて、皇位繼承等に關して法律第何號なり、或は其の法律の名稱を皇室典範法と、斯う云ふ風に決めても宜いと思ひますが、兎に角皇室典範は議會の議決に依るのだけれども、皇室典範と云ふ、何かさう云ふ特殊の法があるかの如く思はれるのは、此の憲法の規定ではさうではないのでせうね発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=65
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066・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 仰せの如く皇室典範を法律學的な見地から申しますれば、一般の法律と毫末も異る所はありませぬ、唯内容の特殊なる所に顧みまして、形式は、法律としては他のものと同じでありまするけれども、特に是には憲法上特別なる名稱を付與したと云ふだけなんです発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=66
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067・佐々木惣一
○佐々木惣一君 さうすると、詰り皇室にまあ關しまして、皇位繼承とか攝政になることは、斯うに解釋出來ますでせうね、皇室典範と稱する法律以外の法律では規定出來ない、是は明かでございませうか…、そこで、まあそれは宜いですが、そこで、憲法がさう云ふ皇室典範を、特に名を附けて、さう云ふ「皇室典範の定めるところにより」と申しましたのは、さう致しますとどう云ふ風に解釋致しませうか、憲法で「定める」と云ふのは、さう云ふ憲法と云ふものが、それが皇室典範と云ふ別種のさう云ふ法規に、皇位繼承なり、攝政なりのことを定むる權限を委任したと云ふのでありませうか、さうでなしに、皇室典範と云ふものは、憲法の委任に依つて出來得るのではなしに、皇宗典範と云ふ別の法律と云ふものが、直接に憲法に依つてあるんだと、斯う云ふ風に言ふのでありませうか、何れにしても國法ではあるんだけれども…発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=67
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068・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 御尋の趣旨が私にはまだはつきり呑込めませぬが、斯う云ふ風に申上げたら御分りになるかと存じます、其の、此處に示してありまする皇位繼承のことは、此の憲法自體で書けることである、併しながら憲法自らは之を直接に規定しないで、皇室典範と云ふ法律が之を規定することを豫定する、斯う云ふ趣旨であります、從つて現在の秩序に於けるが如き憲法と皇室典範と相竝んで對立すると云ふ考へ方とは違ひまして、上級下級と云ふやうな風に系統付けられて居るものと考へて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=68
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069・佐々木惣一
○佐々木惣一君 分りました、さうすると云ふと、將來とも此の皇室典範で規定すべき事項と今御考へになつて居るやうな事項は、憲法其のものに於ては規定することは出來ないことになりますね、それで宜しうございますね、詰り攝政とかそれからして皇位繼承に關するやうなことは、帝國憲法は規定出來ますですか、出來ませぬですか將來…発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=69
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070・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 若し憲法が規定しようと思へば規定出來るのでございま発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=70
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071・佐々木惣一
○佐々木惣一君 ああさうですか、分りました、それぢやそれで宜いです、それからどうも…委員長、まだ問題が殘つて居りますけれども、外の方の質問に影響すると思ひますから、私は茲で又留意して置いて止めると云ふことは出來ませぬか、外の人が大分質問されたいのだと思ひますから、此の問題に付て…発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=71
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072・安倍能成
○委員長(安倍能成君) それぢやさう云ふことに致します発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=72
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073・佐々木惣一
○佐々木惣一君 私はそれでは通告してある質問は澤山ありますけれども、外の方の御迷惑になるといけませぬから、茲で止めます、併しそれは質問を留保して置くのですから、さう云ふ意味で…発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=73
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074・澤田牛麿
○澤田牛麿君 私は議事進行に關してですが、佐々木さんが質問が殘つて居るのならば、ずつと御やりになつた方が宜くはありませぬか、それに依つて一應終つた方が宜くはありませぬか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=74
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075・佐々木惣一
○佐々木惣一君 それぢややらして戴きます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=75
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076・織田信恒
○子爵織田信恒君 矢張り外の方は隨分待つて居られますから、それを進めて…、まあ折角佐々木先生も自分からさう仰しやつたんですから…発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=76
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077・佐々木惣一
○佐々木惣一君 勿論さうなんです発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=77
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078・織田信恒
○子爵織田信恒君 先生憎まれるといけませぬからね発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=78
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079・佐々木惣一
○佐々木惣一君 いや是以上憎まれては堪まらない発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=79
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080・織田信恒
○子爵織田信恒君 外の方の質問をして戴いた方が宜いと思ひます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=80
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081・佐々木惣一
○佐々木惣一君 私はどちらでも宜いです発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=81
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082・安倍能成
○委員長(安倍能成君) 留保と云ふのは必ず御やりになるんですか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=82
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083・佐々木惣一
○佐々木惣一君 ええやります他日何時かはやります、何時でも宜しうございます、そこで第一章に關する質問を皆さんがおやりになつた最後で宜しうございます、さうしたら宜いでせう、それでも今やれと云ふなら今でもやりますよ発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=83
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084・澤田牛麿
○澤田牛麿君 議事進行に關して申上げます、是は矢張り時間が掛つてもなんでも、順序があつて其の方がやり始めたら途中で切らずにおやりになるべきが正當であると思ひます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=84
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085・佐々木惣一
○佐々木惣一君 それでは委員長の御説に依つて…発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=85
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086・安倍能成
○委員長(安倍能成君) それでは出來るだけ簡單に一つ御願ひ致します発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=86
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087・佐々木惣一
○佐々木惣一君 それではやらして戴きます、今度は出來るだけ簡單に一つ申上げます、それでは今度は第三になりまして天皇の職務と云ふことになるのでありますが、そこで天皇の職務と云ふとをかしいやうな言葉でありますけれども、現行の憲法に於きまんては御存じのやうに天皇の職務の最も本質的のものは統治權の總攬者である、統治權を總攬しておいでになると云ふことでありまして、其の職務と云ふものが個々の場合に現れますると云ふと、憲法の範圍内に於きまして色々の具體的の事項に付ての仕事をなさると、斯うまあ二つのものであることは疑ひないでのありまするが、併し其の中で統治權を總攬なさいまして、さうして我が國家を統治しておいでになると云ふ此の事が天皇の御職務、私は天職と云つて居りますが、天皇の職務の本質であります、其の本質のことを帝國憲法では兎にも角にも現はして居りますが、新憲法に依りますと云ふと天皇の職務の本質と云ふものは職務としてはちつとも示されて居ない、固より國家の象徴であるとか、國民統合の象徴であると云ふことは書いてありますけれども、併しそれはどうも天皇の職務と云ふべきものぢやないのであります、そこで何時かも大臣に御尋ね申上げましたが、是は別に此の事自體は法的の意味はない、要するに是は天皇が國家に於て斯う云ふことは言はなくても、當然に性質上判斷出來る事柄が唯説明してあるとしか取れぬ、假に斯う云ふ天皇が國民統合の象徴であると云ふやうなことがないにしましても、今日の我が國の状態を性質的に見て象徴と云ふ言葉で示されるやうな状熊であることは疑ひない、でありますから是は決して天皇の職務と云ふやうなものぢやないと云ふことは疑ひないと斯う思ひまするが、さうすると云ふと新憲法には天皇の御職務の本質的のものは何も示されて居ない、此の新憲法では斯う云ふことになりまして、現憲法に於ける所の即ち統治權の總攬者、統治權、個々の場合に行使せられて居る統治權の總攬と統治權の行使とは全然違ふのでありまして、統治權を行使せられて居る所の天皇が個々の場合に於て行使せられる其の個々の行使に付て規定してあることは疑ひない、併しそれは現行憲法に依れば決して天皇の本質ではない、でありますからさう云ふことに付ては何も新憲法では規定してないのであるが、天皇の御職務と云ふものを新憲法に付て何も規定してなくしても、勿論言葉で説明することは出來ますけれども、新憲法に於ける天皇の職務如何、茲に一つ假に學生でも採用する爲に、是から文官の試驗を金森さんがおやりになつて、天皇の新憲法に於ける職務如何、斯う云ふ風に出したならば、それに對してどう云ふやうな答をして宜いか、どうも此の點が統合と言つても職務にならぬと思ひます、それで若し何か教へて戴ければ大變結構と思ひます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=87
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088・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) どうも法律試驗には合格しさうもございませぬが、第一章の中に御職務に關しまする規定が列擧されてありまして、それが御職務であると考へて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=88
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089・佐々木惣一
○佐々木惣一君 さう云ふ列擧的なことを言つたのではありませぬが、まあ宜しうございます、そこで國務大臣が仰せられたことでありますが、統治と云ふことを權力、そんなことはないと仰つしやればそれ迄ですが、どうもあつたやうに思ひますが、處が私の理解する所に依りますれば、伊藤公などの御書きになつて居る所に依りますれば、統治と云ふのはそんな權力を持つと云ふやうなことでなく、即ち昔からある我が國を「しらす」ことである、斯う云ふ風に教つて居るのでありますが、從つて其の天皇は、是は詰り日本國人全體の共同生活としてあるべきやうに努力せられ、又個々の人間は其の所を得せしめるやうに、今日で言へば生活保障なら生活保障で宜いやうなものでありますが、さう云ふ風なことをなさる、是が即ち統治である、「しらす」と云ふことである、さう云ふ職務を天皇は實に御持ちになつて居るのでありまして、さう云ふ統治の爲には、併しながら是は天皇が努力なさる目標です、其の天皇が努力なさる目標が努力せられる爲に行ふ力が必要なのでありますから、其の力の爲に國家の統治權と云ふことを行つて行くことになるのでありますから、是で天皇の其の職務が國家を統治するのである、斯う云ふ風に我々は伺つて居るのであります、從つて是は權力を行使するとか人を抑へ付けると云ふものでない、それでありますから、教育も統治である、教育は決して權力を使ひませぬ、慈善で人に惠むのも統治である、時に併しながら權力を使つて租税を取る、兵隊に取る、警察に入れる、是皆統治である、權力を使ふとか權力を使はないと云ふ、さう云ふ手段の問題でない、統治と云ふのは國家を「しらす」と云ふ古言にある通りの言葉であると云ふことを、是は私が言ふのではありませぬ、即ち我々の先覺者がさう云ふ風に説明して居るのでありますが、詰りさう云ふ國家を統治せられると云ふ、さう云ふ天皇の御職務と云ふものが、今後はどうもはつきりとして居ない、斯う云ふ風に考へられますが、さう云ふ風に理解することは誤りでございませうか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=89
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090・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 廣い意味の統治と云ふ言葉が權力を當然含むものでなくして、唯權力を含み得るやうに働くのだと云ふことは、斯う云ふ御趣旨は私も御同感と申上げて居ります、唯世間で統治と云ふ言葉は必ずしもさう云ふ廣い意味に使はれて居りませぬので、無條件に指揮命令し得る力と云ふ風に定義が置かれて居ります、私は世俗的用法に從つて言葉を使つた譯であります、次に御示しになりましたのは、此の憲法に於ては天皇の御職務に關する規定が理論的にはつきり充實したものでない、詰り「しらす」と云ふやうなことに該當する充實した規定がないと云ふやうな點を御主眼として御質疑になつたと存じまするが、全く左樣に出來て居ります、其のことは度々繰返して恐縮でありまするけれども、時代の姿に顧みまして、又過去の我々の經驗に顧みまして、天皇に不測の禍の生ずることのないやうに、御安泰なる皇室制度を樹立致しまする爲には、斯樣な考へ方が一番妥當である、假令權力を持たないでも、現實の政治に權威を以て御働きになると云ふことになれば、それより生ずる政治責任と云ふものも起りませうし、輔弼宜しきを失すれば、怖るべき國の禍も起り得ると思ふのであります、それ等を考へますれば、天皇が此の權力の外に立たれることが望ましいものと存じて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=90
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091・佐々木惣一
○佐々木惣一君 それは何ですけれども、それでさう云ふ天皇が統治をなさるやうな御地位があつても、其の力を自ら個々の場合に於て發現して行はせられると云ふのぢやないのだから、そこで從來の言葉では、輔弼機關とか協力機關とか、方法、機關と云ふものがありますから、是は私は今は廣い言葉で協力機關、天皇に、協力する機關、でありますから、私も今の考では、天皇の協力機關と云ふものが誤つて居たのであるからして、其の協力機關の作り方なり、或は天皇への協力、さうして其の詰り天皇を協力する所の其の方法と云ふものに徹底的に、是はもう私は外の方よりも却て急進的になると思ひますけれども、其の内容を言はなければなりませぬが、徹底的に改革を加へれば宜いのであつて、決して天皇の統治權の總攬者と云ふ地位其のものをなくすると云ふ必要はないと云ふのが、私共の根本の立場でありますから、其の立場は、固より新憲法の制定及び之に關する政府の方々の御説明を伺つて、無論自分の考へ方が誤つて居るかどうかは、始終それこそ反省して居りますけれども、どうも其の考へ方が此の新憲法を見ても、誤つて居ると考へられないものでありますから、それで斯う云ふ御尋をする、飽く迄も私は、要するに天皇が統治權の總攬者であると云ふ其の地位を奪つてしまふと云ふ必要は毛頭ない、從來の過ちを繰返さざる爲にも、唯協力機關の構成及び方法態度と云ふものを徹底的に革新すべきだと、斯う云ふ議論であるのみならず、もう一つ、それは天皇が統治權の總攬者であると云ふ、さう云ふ地位を御持ちになつて居ることが、時に必要があることがある、日本の爲に宜いことがあると考へて居るのであります、それは滅多に天皇が統治權の總攬者たる地位を或個々の場合に具體的に發現せられて、御自分で命令なさることは無論いけぬ、いけぬけれども、併し協力者がどうしても協力出來ないと云ふ状態を示したならば、どうも仕樣がない、昨年の終戰と云ふことは、實は天皇の統治權の總攬者として御持ちになつて居る所の其の地位と云ふものが、あの個々の場合にあの力となつて、命令となつて發動したのであります、之を若し今後、ああ云ふやうな戰爭ではないに致しましても、どんなに國家的の動亂が起るか分りませぬが、其の時に是は協力する所の機關と云ふものが如何とも能うしないと云ふことを觀念的に一應想像して御覽なさい、事實はないとしても、さう云ふ時には、此の終戰當時に於て天皇がああ云ふやうな御聖斷を御下しになつたと云ふことを必要とせすとも限らぬ、斯う云ふやうな、單に私のは、協力機關其のものを徹底的に改造したら宜いのであつて、天皇の總攬者たる地位を廢めてしまふ必要はないと申しましたが、單に必要はないと云ふ消極的の意味のみならず、時には天皇が自らさう云ふ行動にお出になることの必要があるかも知れませぬ、一般國民…假に協力機關と云ふ國家の制度上天皇に協力する所の内閣其の他の色々のものが、どうも何とも協力し得ないと云ふやうな状況になつたならば、却て國民の力が…協力機關が何とも能うせぬと云ふ時には、國民の方から、天皇の非常なる御迷惑でありながら、發動を御願すると云ふことがないとも限らない、さう云ふ必要はあると斯う云ふやうな考から私は積極…極めて稀な、あつてはならぬ、從つて稀にあるにしても、去年の終戰の如きはさうだ、天皇が統治權の總攬者として御持ちになつて居る力を、極めて稀であるけれども、時に現實に發動せられなければならぬやうな場合がありはせぬか、唯空論的に言ふのではない、去年の終戰の事實に付て考へる、さう云ふことは天皇が新憲法に依つて絶對に出來ないのであるが、即ち統治權の總攬者と云ふ地位を天皇に殘して置くと云と云ふのはをかしいが、殘して置く方が宜いのではないかと云ふ考であります、さう云ふ點に付て國務大臣の御考がありませぬですか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=91
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092・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 統治權の總攬者の規定を省きましたことは、是は民主主義の政治を徹底致しまする見地から言へば、固より總攬者があつても民主政治は出來るに相違ありませぬけれども、併し民主政治を徹底すると云ふ見地から申しますれば、總攬者と云ふ考へ方を棄てる方が合理的でもあり、且總攬者と云ふ考へ方が殘つて居りまする限り、天皇制の御安泰を確保するには顧念すべき點が殘つて居ると存じて居ります、尚非常の場合に、非常の措置が考へられることは、是は事實當然のことでありまして、此の新しき秩序が行はるる、と致しますれば、又其の時に應ずる非常の措置も、如何なる方法であるかは、それは分りませぬけれども、時に應じて日本國民の榮える力が殘つて居る限り、然るべき方法が湧き出し得ることと思つて居るのであります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=92
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093・佐々木惣一
○佐々木惣一君 それは其の點は御説明を伺へば宜しうございますから、何と致しまして、今度は第四點になりまして、天皇の國事に關する行爲委任と云ふことがありまして、是の趣旨をちよつと御尋ねしたい、新憲法第四條、「天皇は、法律の定めるところにより、その國事に關する行爲を委任することができる」とありまして、是は意見でも何でもありませぬ、此の「國事に關する行爲を委任する」と云ふのはどう云ふことを言ふのでありませうか、要するに第七條など、其の他の規定に於て天皇がなされ得るとしてある其の個々の行爲を委任することが出來ると云ふだけのことでありますか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=93
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094・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 「國事に關する行爲を委任する」と云ふことは、必ずしも個々の行爲に限つてのみ委任すると云ふ趣旨ではございませぬので、大凡此のやうな規定、即ち委任を許容する規定に於て爲し得る有らゆる意味に於ての委任が茲に含まれると考へて居ります、從つて全部的に委任すると云ふことは是は考へられませぬ、併し個々のことを委任すると云ふのも一つの方法でありませうし、又全部的な委任を或限られた短かい期間に於て委任すると云ふことも考へられると思つて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=94
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095・佐々木惣一
○佐々木惣一君 さうすると云ふと、詰り今天皇が憲法に於て御持ちになつて居りまする天皇に屬する行爲一般を、或場合に誰かに全般的に委任すると云ふことも出來ることにもなる譯でありますな、さうすると、それは丁度幕府見たやうなものでありますか、唯是は行爲が限られて居るから宜いが、詰り天皇が爲され得る行爲を全般的に見る、それで幕府がさうであつたから、唯もつと色々なことが出來たと云ふことだけで…さう解して宜しいでありませうか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=95
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096・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 幕府と云ふ例は此の場合に當嵌りにくいと存じますが、要するに斯樣な委任規定は、此の規定が極度に、考へ得べき最極度に活用された場合を豫想しますれば、幾多の議論が起り得ると思ひます、併し斯樣な規定は大凡或妥當な範圍内に於て行はれるものと考へて居ります、此處で普通に豫想して居りますのは、極く瑣末なと云ひますか、大權には屬しまするけれども、瑣末な事項にして、能く例を擧げて言ひまする極く輕い意味の恩賞の制度と云ふやうなことを、或特定のものを委任すると云ふ個々の場合もありませうが、御旅行等の場合、相當大幅の權力を誰かに委任せられると云ふことを豫想して居ります其の外のことは、言葉の中にも多分含んで居ないと思ひますけれども、意味の中にそんな根本的なことは毛頭考へて居りませぬ発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=96
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097・佐々木惣一
○佐々木惣一君 それはさうだらうと思ひますけれども、唯其のことだけを質疑の形に於てでも明かにして置きたいと思ひます、下手をやつて此の規定を置きまして、從來のやうな一般的な幕府と云ふやうなことぢやないにしても、天皇が凡そ此の新憲法に依つてなされ得る事柄を全面的に誰かに委任すると云ふやうなことが出來ると云ふことになると、私は大變なことと思ふ、さうでないと云ふことで、それは含まれないと云ふ御答辯があつたので、此の憲法の解釋上重大なる結果を得た譯であります、私自身と致しましても、それは大變私自身も同感であるので、大變結構であります、もう一つ尋ねたいのですけれども、此の委任は、委任をする相手が何人でも宜しうございませうか、例へば外國人にでも委任することが出來ませうか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=97
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098・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 此の規定は左樣な所迄は特に深入りして考へて居りませぬ、「法律の定めるところにより」と云ふ條件が入つて居りまするが故に、それに依つて法律的には制約されまするから、容易に今假に御定めになつた場合の如きは起り得ないものと存じて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=98
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099・佐々木惣一
○佐々木惣一君 起り得ないのですけれども、併し法理論としては許されると云ふ風に解釋しなければなりませぬのですが、法律が定めれば…発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=99
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100・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) そこ迄私は念慮を付けて居りませぬのです、まあさう云ふことは豫想もして居りませぬ、併し理論的に仰せになれば出來ないと云ふことは御答へ出來ませぬです発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=100
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101・佐々木惣一
○佐々木惣一君 大變法律論的に言つて甚だ皆さん御迷惑ですけれども、我々法律をやつて居る者から見れば、色々の事柄を想定しまして、解釋だけは明にしたいと云ふ意味であります、唯それだけに外ならぬのであります、それからして今度は第五に、天皇と内閣との關係と云ふことに付て御尋ね申上げたいのですけれども、是は内閣のことは本章のみでなしに、後で内閣と云ふ事柄が特に出て居りますから、其の時に又寧ろ御尋ねした方が宜いと思ふ、唯茲では本章に規定してある内閣と云ふことの事柄を説明する爲にのみ唯申上げるのでありますが、そこで「天皇は、内閣の助言と承認により」と云ふことであるのでありますが、此の助言と承認と云ふことは例へば天皇に對して内閣以外の者でも助言は出來ますのですか、出來ませぬのですか──いや宜しうございます、兎に角今の、例へば現行憲法の輔弼とどう云ふ風に違ふかと云ふことを、其の方面から御説明願つて結構ですよ発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=101
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102・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 大體の考へ方は、輔弼と云ふことと同じことに歸著すると存じます、併しながら現在の輔弼と云ふ言葉は甚だ解釋に幅がありまして、人に依つて恐らく中身に付て意義を異にして居ると存じます、で此の憲法は斯樣に具體的なる文字を用ひましたが故に、はつきりした姿を持ち來つたものと存じて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=102
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103・佐々木惣一
○佐々木惣一君 さうすると何でございますか、色んなことを御尋ねするやうですけれども、内閣以外のものの承認は別ですけれども、助言は差支ないと云ふことになるのでせうかならぬのでせうか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=103
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104・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 其の御質疑に對しまする御答がどう云ふ所に意義を持つて居るかどうかと云ふことを私は承知致しませぬが故に、稍稍芒漠たる立場に置かれまして、然りとも否とも御答へし兼ねる次第でございます、事實行爲としての助言が個人關係に於てあり得ることは、是は何の不思議もないと思ひます、併し憲法上の效力のある意味に於きましては、それはあり得ないことのやうに思つて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=104
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105・佐々木惣一
○佐々木惣一君 憲法上の效力あるものとしての助言は無論あり得ないけれども、例へば今非常に日本の「インフレ」の問題が喧しい、そこで一體其の「インフレ」と云ふことに付て天皇が、自分も一應何か知識を得たいと云ふことからして、誰でも宜しうございますが、例へば特定の大學の教授なりを呼んで、さうして「インフレ」一航の經濟學上の性質なり、或は又日本では一體「インフレ」と云ふやうなことはどう云ふ現状だ、或は又どう云ふ風にやつた方が宜いと思ふかと云ふやうなことを、御尋ねになることは出來ませぬですか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=105
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106・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 天皇が個人たる御立場に於て知識を吸收される爲であるならば、差支ないと考へます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=106
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107・佐々木惣一
○佐々木惣一君 はつきりしました、さうすると、是は斯う解釋して置いて宜しうございますね、是は單に天皇の個人としての知識と言ひますかな、さう云ふ御徳をなすと云ふやうな意味でなしに、現に具體的の現實の國家の國務をどうしても實現して戴きたいと云ふ意味の助言だと、斯う云ふ風に理解して宜しうございますね、現實に…発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=107
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108・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 左樣でございます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=108
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109・佐々木惣一
○佐々木惣一君 はつきりと致しまして、大變有難いです、本當に…それから此處で御尋ね申上げたいのは、第七條ですが「天皇は、内閣の助言と承認により、國民のために、左の國事に關する行爲を行ふ」とあるのですが、言葉咎めをするやうで大變苦しいのですけれども、此の「國民のために」と云ふのはどう云ふ意味でありませうか、此の七條に於ける「國民のために」と云ふのはですね発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=109
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110・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 「國民のために」と云ふことは特に御質疑を下さる程の疑のある字とは考へませぬ、讀んで字の如きものと思ふのであります、唯法律的に、是がなかつたならばどう云ふ變化があるかと云ふやうな御趣旨の御尋であるとすれば、なくても同じ意味に歸着するものと考へます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=110
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111・佐々木惣一
○佐々木惣一君 それはね、實は私は非常に知識の恐らく不足から致しましたと思ひますが、さう云ふ風に、もうさう云ふ御言葉で宜しい、さうでせうが、併し私の御尋ね申上げましたのは、唯さう云ふ意味ぢやない、「國民のために」と云ふのは謂はば國民に代つてとか、或は國民の名に於てとか、さう云ふやうなことの時に、能く斯う云ふ文字を使ひます、例へば「アメリカ」政府が終戰時に於ける所の我が國の問合せに對して答へて居りまする言葉に、「アメリカ」の政府は、詰り「アメリカ」「イギリス」、ああ云ふ四聯合國の政府の爲に、「ビハーフ」と云ふ文字を使つて居りますが、さう致しますと、其の囘答をしたのは「アメリカ」政府だけれども、それは實は四箇國の政府が囘答したと云ふことになると云ふ意味に於て、此の四箇國の「ビハーフ」と云ふ文字を使つて居ります、私は英語は能く知らぬのですけれども、大體斯う云ふ凰に…さうすると、此の「國民のために」と云ふ文字は、或は此の飜譯を讀みますと「ビハーフ」と使つてあるかも知れませぬ、是は私は殊更見ませぬのです、初め見たのを忘れちやつた、さうすると、是は「國民のために」と云ふことは、詰り國民に代つてとか何とか云ふ意味になるかどうかと云ふ疑問なんでしてね、それで輕い意味で御尋ねしたんぢやない、私自身は…どうだらう、どちらでも…発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=111
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112・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 原案者の方の考へ方は、「ために」と云ふことは全く其の利益の爲にと云ふやうな言葉に似たやうな意味で使つて居ります、代つてと云ふ意味ではないのであります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=112
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113・佐々木惣一
○佐々木惣一君 それならそれで宜いのですが…私は詰り意見を言つて居るのでありませぬ、それならはつきり分りまじた、原案者の御趣旨が…唯「主權の存する日本國民」と云ふやうな文字がはつきり出て來て居るもんだから、だからして「國民のために」と云ふのは詰り外國文での「オン・ビハーフ」と云ふ意味になりやしないかとちよつと疑つたから御尋ねしたのです、此の點に付ての意見ではありませぬ、それから今度は第六と致しまして、此の天皇に依る任命と天皇以外の機關に依つて指名されると云ふことがあります、と云ふのは、天皇が或機關を御任命になる場合に、他の機關の指名に基いてと、斯うあります、例へば内閣總理大臣を任命せられる場合には、國會の指名に基いて、或は又最高裁判所の長たる判事を任命される場合には、内閣の指名に基いてとあるのです、是は運用論としてはそんなことはありますまいけれども、法理論として、其の指名せられたものをいけないとして、それを任命せられないと云ふことはあり得るのですか、許されるのですか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=113
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114・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 是は寧ろ佐々木先生に御伺ひした方が適當かと思ひまするが、斯樣な場合に於きましては、憲法が持つて居る冷やかなる法律解釋と、現實の政治に於ける生きた動き方と云ふものとの間に存する微妙な點を此の言葉を以て解決して居るのでありまして、殊更に之を法律的に説明せよと仰せられましても、多少實際に於で有益でないと、斯う云ふ風に考へて居ります、政治は此の通りに動くべき筋合のものである、斯う云ふ風に考へて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=114
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115・佐々木惣一
○佐々木惣一君 それはそれで宜いですが、要するに假に斯う云ふ憲法論が出て、天皇が國會の指名した者を是はぃかぬと言つて任命をせられぬと云ふ時に、天皇は憲法違反であるかどうかと云ふ問題が法理的に起るのですが、さう云ふ場合はどうかと云ふのです、今の御説明は法理論としては、私は滿足しませぬけれども、併し御説明の趣旨ははつきり分りましたから、それ以上質問する氣はありませぬ、それから是は平凡のことでありますけれども、攝政の性質のことであります、第五條の「皇室典範の定めるところにより攝政を置くときは、」是は宜いのですけれども、攝政を置くと云ふ場合に付ては、もう新憲法では全然要件を示さないと云ふ御立場でありまするかどうですか、さうのやうですね、攝政を置く場合は、皇室典範で總て之を規定せしめる、斯う云ふ御趣旨があるかと云ふことです発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=115
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116・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 左樣でございます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=116
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117・佐々木惣一
○佐々木惣一君 さう致しますと、天皇が「大政を親らすること能はさる」場合と云ふことは、今は皇室典範でありますけれども、憲法上の攝政の性質を説明する時には、其の憲法と皇室典範とを結び付けまして、さうして天皇が大政を親らせらるることが出來ない場合と云ふことを要件として大抵説明して居ると思ひますが、んれではないですか、皇室典範はどう云ふ場合に攝政を置くと云ふやうなことを、憲法は何等豫想も限定もして居ないと云ふ譯でありませうか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=117
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118・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 大體攝政と云ふ言葉は、君主國に於て用ひられて居りまする時には、自ら自然の限界と申しますか、常識的に認められて居る所の限界はあると思ひます、併し其の限界の範圍内に於きまして、具體的に如何なる條件を當嵌めるかと云ふことは、今囘の此の草案に於きましては、皇室典範に委ねられて居る譯であります、從つて又現在の攝政に關しまする制度と略略同じであらうとは思つて居りますけれども、併し幾分の餘裕がないことはないと考へて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=118
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119・佐々木惣一
○佐々木惣一君 私の御尋ね致しましたのは、憲法には文字としては規定がないのだけれども、併しながら或意味に於て攝政と云ふものは、どう云ふ場合に置くものだと云ふことが、憲法の實質上の規定に入つて居るべきだと考へるものですから、さうすれば皇室典範を規定する時にそれが指導原理になると、斯う思つて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=119
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120・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 固よりさう云ふ考であります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=120
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121・佐々木惣一
○佐々木惣一君 それから今度は皇室と財産、是は先刻以來もう既に説明がありましたから、私は別に御尋ねすることはありませぬけれども、さうして又此の規定は、私は實は財政の章に至りましてから更に御説明願ひたいこともありますから、其の點との關聯からちよつと御尋ねして見たいと思ひますのは、妙なことですけれども、第一に、皇室が財産を御持ちになることが必要であるかと云ふ點です、單に法理的に財産權の主體でもあり得ると云ふやうなことではなく、皇室は財産を御持ちになると云ふことが宜いのであるか、いけないのであるか、さう云ふやうな點に付て、強ひて伺ふのは何ですけれども、先刻來、皇室には私生活なしとかなんとか云ふやうな言葉がありまして、それを表面的に徹底すると、皇室には財産がない方が宜いのだと云ふやうな理論になるかと思ひますが、さう云ふやうな見地で此の憲法が出來て居るのであるかどうかと云ふことを御尋ねして見たいと思ふのです、私は念の爲に、御許しを得て私自身の考をちよつと言はせて言きたいと思ひます、私は理念的には、皇室に財産がない、言ひ換へて見れば、皇室には御財産がなくても宜いと云ふやうな國家生活状態が宜いと云ふことを、理想的には思つて居ります、併しそれはさう云ふ國家生活状態が出來れば宜いと云ふことであつて、常にさうだと云ふことを言ふのぢやない、さう云ふことが實現され得る爲にに、國家生活、社會生活上の或事實上の事情が前提とされなければならぬのであります、そこで私は、今日は皇室は財産を御持ちになる建前の方が宜いと思ふ、今日はですよ、理想的に言へば、皇室には財産がないと云ふことで我々の社會生活が行はれる方が宜いのだけれども、それは理想を言ふのであつて、そんな理想は今日では出來ない、と云ふのは、皇室典範の全般の状況を見て、矢張り皇室は財産を御持ちになつた方が宜い、斯う云ふ考を持つて居ります、併し財産で皇室が賄はれることが宜いと云ふのぢやない、それは八十四條は前の政府原案の方が宜いと私は思つて居るのでありますが、皇室は矢張り我々國民が其の御經費を獻上して、さうして皇室の御經費を我々が賄ふと云ふ建前の方が宜い、併しさう云ふ建前を執つても、今日の現状は、皇室が財産を御持ちにならぬことが事實上宜いと云ふ風なことを言ひ得ない状況であると思つて居ります、理念的には、財産なしと云ふことで行くのが一番宜いが、今日の實情は、さう云ふことは言へないと思ひます、併し政府の方では、いやさうでないのだ、皇室には財産がない方が宜いのだと云ふやうな建前ですか、財産權の主體としては認めてあるのですが、唯政治的の考です、さう云ふことに付て何か御答を得られますか、どうですか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=121
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122・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 既に理論的に御認めになりましたので、それ以上に餘計なことを申上げる必要はないと存じまするが、現在の皇室の財産の中に於きまして、特に收益財産とも見らるべきものに付きましては、世上幾多の議論があり、又疑惑の中心となつて居るのであります、勿論疑惑と申しましても、大部分は國外から來る疑惑でありますけれども、兎に角それであることは疑ひないと存じて居る譯であります、實際現在の日本の建前に於きましては、年々四百五十萬圓の皇室費を國の方から差出すと云ふことになつて居りまするが、四百五十萬圓では皇室の公に御用ひになる費用と内面に於て御用ひになる費用を合算したものの極く一部分にしか當りませぬので、此の實情を維持する限りは、皇室に財産がなければやつて行けない、斯う云ふことにならうと思ひます、斯樣な姿になつて居つて、之を中心として理論的に幾多の疑惑があるばかりでなく、實際的な面に於きましては、皇室が色々な土地其の他を御持ちになりますると、そこには國の法律の働き方が變つて參りまして、列へば地方税は取れなくなる、國民學校の生徒はどんどん殖える、學校は維持出來ない、斯う云ふ風な羽目になりますと、其の解決に非常に困難なる状況を生じます、又森林警察の如き、一般の警察とは違つて特殊なる警察があり、人家の軒の所に檜や杉が森々として繋つて居る、而も是が因になつて或は犯罪などのことが起り、其の怨みが皇室に屬すると云ふことも現實として存在して居るのであります、さう云ふやうな、理論的にも、實際的にも、支障のある制度を何時迄も守立てて行く必要はないのであつて、此の際財産は基本的なる財團とした方が矢張り宜いのではなからうか、其の代り今の理論滿足の結果として、何か皇室に御不便が起る虞があつてはなりませぬからして、之に對する相當の用意をしたならば宜いではないか、其の用意の仕方と云ふものが此の皇室の私有財産の方面を漸次充實させて行くことに依つて決せらるべきものと考へて居る譯であります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=122
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123・佐々木惣一
○佐々木惣一君 政府の御趣意は能く分りました、兎に角是は八十四條との關聯で、私は又一般的に申上げて置きます、それから又ここで條文の解釋ですけれども、皇室に財産を讓り渡したり、皇室から財産を讓り受けると云ふやうな場合には、國會の議決に基かなければならぬと云ふのは、是はどう云ふ意味でせうか、さう云ふ行爲を爲す時に、斯う云ふ行爲を爲す其の行爲自體に對する働きを、斯う云ふ行爲をしようと思ふ時に、國會の議決が必要だと云ふのでありますか、唯意思決定には要ると云ふのでありますか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=123
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124・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) ちよつと御質疑の御言葉に追隨して、考が纒まり兼ねまするが、此の意味は基本に於て國會の議決がなければならぬと云ふのでありまして、だから法律に依つて原則を決めて置いても宜い、個々の場合に議決しても宜いと云ふのでありまして、基くと云ふ言葉を特に使ひましたのは、委任のやうなことを念頭に置きまして具體的に決めなくても、根本に於て國會の議決があれば宜いのだと云ふのであります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=124
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125・佐々木惣一
○佐々木惣一君 有難うございました、實はそこを伺つたのでありますが、はつきり致しました、それから最後でありますが、一一點、天皇の無答責の規定が、私は此のざ法に必要ぢやないか、無いのですが、是は私は本會議で御質問申上げたのですけれども、少し分りにくかつた、其の時に申上げた問題として、例へば天皇が刑法上犯罪となるやうに行動をなさいました時には、それに刑罰を科すると云ふやうな、さう云ふやうな規定を設けることが出來るかと云ふことを御尋ねしましたらば、ちよつと實は暫く返答がなかつたやうに思ひますが、併し今日は其の返答としてよりも、他の方の御質問に對する御返答の中にそれを含んで居るのでありますが、それは即ち象徴であると云ふことから、私は實は是は法的意味はないと、斯う云ふ風に國務大臣からは伺つて居つたのですけれども、今日は別に變つたと云ふのではありませぬけれども、大河内子爵の御質問に御答になりました御言葉の中に、確か象徴と云ふことから結果する、其の結果の一つとして何か無責任と云ふやうなことが出ると云ふ御話を伺つたが、さうして例へば或罰を科するやうな規定は出來ないと云ふことを伺ひますが、實質的にはさうかも知れませぬが、私はどうも象徴と云ふやうなことがさう云ふ或法的效果を當然に持ち來すやうな、さう云ふ法的意味を持つた言葉とはどうも理解出來ない、象徴であるから無責任の規定を設けなければならぬと云ふやうなことの結果は生じまするけれども、政治的、立法的の象徴であると云ふことを言つて居るから、當然に天皇は無答責であると云ふやうなことは、どうも出て來ないと思ひます、是はどうも仕樣がないんですけれども、それで私は矢張り憲法の中には、我が國民が今日天皇に對して奉つて居るやうな尊嚴の觀念を害するが如き方法に於て天皇の責任を問ふと云ふやうなことは出來ないと云ふやうな意味の規定を憲法に設けた方が宜いと、斯う思ふのです、併しそれは第一條の解釋から行くと云ふならばそれで宜い譯でありますが、併し此の點は私は可なり茲に天皇の無答責、即ち天皇御自身以外の人間、御自身ではどう云ふ風に御考へになつても仕樣がない、御自分で…併し他の方面から天皇の責任を彼れ此れ言ふことは出來ないのである、斯う云ふ風な規定を憲法の何處かにはつきりとして一箇條設けて戴きたい、是は解釋が異つて居るから、從つて立法上の希望も違ひますから已むを得ないけれども、さう云ふ私の希望を申上げて、國務大臣の、第一條からさう云ふ天皇無答責の結果は、當然理上出來ると云ふやうな御解釋とは、遺憾ながら解釋を異にすると云ふことを申上げて、從つて特別に無答責の規定を設けたらどうかと、斯う云ふことを申上げて置くのです、是は質問でありませぬ、私の意見を言うただけであります、之を以て私の質疑を終ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=125
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126・安倍能成
○委員長(安倍能成君) 次の順底は川村委員でございますが、川村委員は特に總理大臣に質問をしたいと云ふ希望でありますけれども、總理大臣はもう既に歸られたと云ふことでありますから、長谷川委員に御願ひ致します発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=126
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127・長谷川萬次郎
○長谷川萬次郎君 私の質問は簡單なことでありますけれども、第一條に付てと申上げて置いたと思ひますが、佐々木委員から此の點に付ても、色々又其の他の點に付て質問がありましたが、佐々木君の御質問は、法理上此の憲法を解釋するに付て是非分らして置かなければならぬと云ふ點を刻明に擧げられて、一々質問されたやうに覺えますから、非常に長いやうでありましたけれども、其の一々の點は、詰り此の憲法を法理的に解釋する上に於て、豫め心得て置かなければならぬ點を皆擧げられて居る、唯其の間に少し長いことが入つて、質問要領が長くなつて、何だか分らなくなつて、さうして最後に斯云ふうことを質問するんだと云ふことを重ねて御述にならなければならなくなつたのですが、最後に仰しやつたことだけを言はれればもつと簡單に行つたと思ひますが、併し色々伺つて居る中に我々は大いに學問をしたことになつたのであります、私の質問は之に反しまして、さう云ふ性質のものぢやない、勿論専門家でありませぬから、さう云ふ性質の質問が出來る譯でありませぬが、私のは此の憲法を定めた何と云ふか、寧ろ國民が定めたのでありまして、定めた國民の感情、理性、心理と云ふやうなものに付て、之を定めた者がどれだけの理解を持つて居るか、又國民はそれに對してどれだけ理解を持ち得るか、又現在國民が理解をして居る所とぴつたり合つて居るか、或は背いて居るかと云ふ風な點を御質問するのでありまして、解釋學としては或は殆ど意味がない質問になるかも知れませぬので、金森さんの御返答を求めることは無理かと思ひますが、首相もおいでにならぬし、兎角さう云ふ意味であることを申して、更に此の問題は私は第二章で質問する場合に申上げようと思ひますが、今日は簡單に申上げたいと思ひます、茲に「天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴で」あると云ふ、象徴と云ふ言葉であるが、二つも象徴と云ふことを言つて居るが、日本國の象徴と云ふ意味と、日本國民統合の象徴であると云ふことと確かに違ふから二つ竝べたのでありませう、反復の言葉ではないと思ひますが、さうしますと先の日本國とは何であるか、日本國民統合と云ふのはどう云ふことであるか、法律解釋でなしに國民の常識として問題になる譯であります、併し一つ嚴格に考へますと常識論では間に合はぬとも考へられますが、私共が此の條文を見て理解する所に依りますと、日本國の象徴と云ふのは、日本國民と云ふものを國土と云ふやうな意味にとつたのではないことは、それは明かである、日本の自然状態とか天象、氣候と言つた譯ではないと思ふ、我々が色々飯を食つたり仕事をしたりする生活状態と云ふ、其の意味でもないと思ひます、詰り法律其の他に於て言はれる日本國と云ふ意味であるとすると、政治國家の意味であらうと思ふ、政治國家としての日本國と云ふ意味であるから、嚴格に言へば國家と云ふ言葉が用ひられてあるから、日本國家の象徴であると云ふことを日本國と言はれた、明確に言つたら、政治國家を現はすならば日本國家と云つた方が宜いと思ふ、次に日本國民統合と云ふのは、是はどう云ふことかと云ふと、日本の國民の集りの象徴であると云ふ風な意味だらうと思ひます、日本國民の集りと云ふと、國民と云ふのは一體…國民と云ふ言葉が憲法に頻りに使はれて居るが、是の觀念は當り前に使はれて居ると思ふ、國家の人民、昔で言へば「シテイ」、都市の市民と云ふことが、あれと同じ意味に於て、國家の人民と云ふ意味と思ふ、處が日本人には國家の人民としての意味と、日本の社會に生きて居る人間との見方と二つあると思ふ、是は日本ばかりではない、何處にもあると思ひますが、此の日本國民の統合と云ふ意味は、國家の國民の統合と云ふ意味とすると、日本國家の象徴と云ふ言葉と重語になる、之を別の意味に於て茲に掲げられたと云ふのはどう云ふ意味かと云ふので、參考の爲に英譯を讀んで見ると、英語は私には能く分りませぬが、あとの方に「ピープル」の「ユニテイ」とある、それで幾らか分つて來る、「ピープル」と云ふと、國家の人民ばかりではない、廣く人民と云ふ意味で、昔の「シテイ」の市民と云ふ意味ばかりでなく、國民と云ふ意味ばかりでもない、「ピープル」と云へば、寧ろ日本人と云つた方が宜いと思ふ、「ピープル」を現はす適當の譯語は日本にはない、民と云ふが、詰り民と云ふのでもない、適當な譯語は中國語にも日本語にもない、唯「ピープル・ユニテイ」を本當に解釋すべき言葉と言へば、何かそこに新な造語を作るか、日本人の結合と云ふやうに書くかが、一番正確な現はし方と思ひます、さうしますと、どう云ふ譯で、斯う云ふ字が出て來たか、「ピープル・ユニテイ」とあるべき處を國民統合と云つたのは、是は先程申しました通り、過去の日本の國民なり、國家なりの行動に對する反省が足りないと云ふ處から來たのだらうと思ふ、心理的に申しますと後悔して居ない、後悔が足りない、それはどう云ふ意味かと云ふと、何でも國家に持つて行かうとする今迄の考へ方、人間が生きるのは國家の爲、家の爲と云ふやうな、詰り一種の結合體を絶對と見る古い考へ方に基いたものである、基いたことがどうしても拔け切れないから、人間と云へば國民の結合、國民の結合と云へば直ぐ統合…統合と云ふのは統べると云ふ説明があつたが、政治的の意味を以て統合すると云ふ風に思つて來る、さうでなく「ピープル」の「ユニテイ」と云ふ意味で、天皇は「ステート」の象徴であると同時に、日本人と云ふ「ピープル」の象徴と云ふ意味と思ふ、さうすると二つ言葉を持つて來るのがはつきりして來る、前々から、本會議以來法理學者諸君から色々御質問もありましたが、此の生活の反省、今迄の國家的生活、個人的生活にどれだけ誤つた日本人であつたかと云ふことの反省が、まだまだ質問者にも、答辯される政府者にも、さう云ふ反省が足りなかつたから、其の點に於ては兩方共一致して居る、喰ひ違ひは唯些細な法理論だが、此の憲法が出ると云ふ必要を何で持つて居るかと云ふことは、さう云ふ法理論ではない、法理上正確な民主主義、自由主義の憲法が出來ようと云ふのではない、如何に日本人を改造するか、日本人の心理的の誤りを如何に誤らぬやうに持ち直すかと云ふことの問題である、それにも拘らず、さう云ふ意思がないから、直ぐに國民統合と云ふやうな字を持つて來る、それは日本人が色々今後も嫌疑を受ける理由になると私は思ひます、此の反省の足りないのは、恐らく教育の誤りであるが、或は教育と云つても、國家教育ばかりでない、社會一般の教育教養の方針が誤つて居つたと云ふか、方針の誤りばかりでもない、國民心理がさう云ふ處に立脚して居つたから、教育も、教養も、さう云ふ處に行つたので、間違ひは各個人の心掛けで、それを纒める指導者の誤りであつたと云ふか、第一條が既にさう云ふ誤りを表現して居ることは甚だ遺憾でありまして、私共から云ふと、折角象徴と云ふ言葉に依つて、日本の天皇を保存し、天皇を意義あり、價値ある御地位に安全に保つて置かうと云ふ、日本國民の意思なり、又世界一般の好意が能く現はれて居ないと思ふ、それを今迄の長い間の此の質問應答に於て少しも指摘されなかつたと云ふことは、是だけ知識のある方が集つて居つて色々のことを言はれるが、如何に國民として、又國家を擔つて居る方々の資格が足りなかつたと云ふことを證明する譯で、今後の危險が、其處に多分に潛んで居ると思ふのであります、此の點に於きまして、私は此の第一條は是非何とか書直して戴きたいと思ふ譯であります、書直される場合問題となるのは、是は少し總論の方へ戻つて恐縮でありますが、總論の質問は取消しましたから、ちよつと補充さして戴きたいと思ふのは、此の第一條の解釋に少しく關聯しますが、國民統合と云ふのに見ますと、私は政治的の意味がある、政治的の統べると云ふ字がいけないと申しました、それは人民の結合であると申しましたが、然らば人民の結合と、政治的の統合とはどう違ふか、人民が結合すれば政治體を成すのぢやないか、と云ふ疑を生ずるかも知れませぬが、さうではない、是は法理學的の範圍を超えて社會學的の見地から説明されなければならぬと思ひますが、人民の結合と云ふと、政治以前の形態、政治體以前の問題、政治體の根據となる客體でありまして詰り實體であります、人間的結合、それが「ユニティー、オブ、ピープル」である、それから國家と云ふ方は、其の「ユニティー、オブ、ピープル」が政治的に結合されて國家を成した場合の即ち國家であります、此の點に於きまして、「イギリス」の社會學者などは上を「ステート」と言ひ、下を「コンミュニティー」と言つて、「コンミュニティー」と「ステート」は對立すべき、反對な性格を持つたものであると云ふことを説いて居りますが、私はそれには同意致しませぬ、「ステート」と「コンミュニティー」が對立するやうになつたのは、詰り政治の性格が誤つたから…政治の性格が誤つたと言つては語弊がありますが、「コンミュニティー」と對立するやうな形態を執つたことが、「イギリス」の社會學者の言ふ如く「ステート」と「コンミュニティー」とはそれ自身對立するやうな考を持たせられた所以だと思ひます、根本的に考へますと「コムミュニティー」と「ステート」は決して對立すべきものではない、現に二十世紀の今日に於きましては、「ステート」と「コンミュニティー」を一つのものにしようと云ふのが此の憲法の趣旨であり、又各國の精神でもあります、其の精神の主なる所は何であるかと云ふと、所謂政治體としての國家は、詰り人民の結合體、實體の結合體を保護し、其の危險を豫防すると云ふ義務がある、其の義務が主でありますから、從つて「ユニティー、オブ、ピープル」が互に爭ひを生じます、爭ひを生じた場合に、國家が人民に代つて武力を以てそれを防がなければならぬと云ふことになりますから、自ら國家の性格に武力が伴ふ、軍權が伴ふと云ふことになる譯でありまして、其の意味から申しますと、國家と云ふものは、「コンミュニティー」の平和を妨げられない爲に國家と云ふものに武力的防禦を委ねるのであります、だから「コンミュニティー」と云ふものの本質的な性格はそれ自身平和的な性格であります、國家と云ふものは之に反して防禦の態勢を執らなければならぬが、又場合に依つては攻撃の態勢を執らなければならぬ、從つて武力的であると云ふことは已むを得ないと思ひます、此の頃言はれます世界平和の觀念に依りますと、國家もさう云ふ對立を止めなければならぬ、武力抗爭を止めなければならぬと云ふ考へ方がある、是はどう云ふ所から生じたか、「コンミュニティー」と「ユニティー、オブ、ピープル」とが互に爭ふから國家がそれを代表して戰ふ、「ユニティー、オブ、ピープル」と云ふものが互に世界的に平和になりさへすれば、國家も武力を持たずに濟むと云ふ觀念から來て居る、ですから之を嚴格に區別して觀念的に考へる必要があるから、「イギリス」人のやうに極端にさう云ふ風に言つてはいけないが、要するに終極に於ては一致すべきものであると考へなければいけませぬ、今度の憲法では、日本は「コンミュニティー」國家にしよう、武力を持たない「ユニティー、オブ、ピープル」と云ふ國家にしようと云ふのが此の憲法の本旨であると思ひます、さうしますと、天皇は「ユニティー、オブ、ピープル」の象徴であると云ふことが重大な意味を持つて來るのでありますが、是は日本の天皇の詰り昔からの傳統だつたと思ひます、私共は日本の天皇は國家の對立抗爭的、武力的な方面を象徴されたものでなくして、絶對平和的な生活結合を象徴されたものであると云ふのが日本の天皇の性格だと思ひます、其の意味から言つても、日本國家の象徴であると云ふよりは、日本國民統合の象徴であると云ふことの方が、天皇の性格を表はすのに本質的に當つて居ると言はなければならぬと思はれます、從つて此の「ユニティー・オブ・ピープル」と云ふやうな意味に現はさうとすると、どうしても國民統合…統と云ふ字を茲に使ふことは私は甚だいけない、さう云ふ心理的な非常に「デリケート」なことが感ぜられる、所謂感性が足りないと云ふことが、今の高級な知識階級の缺點でありますが、それも此の男女關係とか、愛情關係とか、夫婦關係と云ふことになりますと、相當「デリケート」な作用を持つて居りますけれども、公の性格に於きまするさう云ふ心理の「デリケート」な點を缺いて居ると云ふことが、日本の「インテリゲンツイア」の缺點だと思ひますが、それが茲に現はれて斯う云つた文字となつたと思ひます、さう云ふことを申しますと、恐らく少數意見として、此の憲法は此の文字の通りになつて現はれるかも知れませぬが、其の少數意見こそ本當の日本人の日本…國家の再興を支配する心理でなければならぬ、感性でなければならぬ、觀念でなければならぬと云ふ風に私は信じて居ります、此の少數意見が多くの日本の高級な「インテリゲンツイア」なり、政府當局者なりに理解され、肯かれると云ふことになりまして、初めて日本は世界の信頼を得るやうな平和國家になり得るのだと思ひます、動もすれば斯う云ふ文字を使つて、斯う云ふ觀念から離れることの出來ない間は、此の憲法が出來ましても、日本は各國の猜疑の的となると思ひます、ですから自分と致しましてはどうしても此の文字を改めて戴きたいと考へて居りますが、之に對して政府としてはどう云ふ御考でありますか、伺ひたいと思ひます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=127
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128・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 國民統合の象徴と云ふ言葉の持つて居る基本的な意味に付きましては、只今御教へを受けまして、長谷川委員の仰せになりました方向に於て政府も考へて居る譯であります、唯其の思想を國民統合と云ふ言葉で現はした方が適當であるか適當でないかと云ふことが、御意見の中に現はれましたけれども、其の點になりますと、此の言葉で以て相當の程度迄言ひ現はして居るのではなからうか、斯う云ふ風に考へて居ります、さうして此の憲法の建前が、從來は個人と國家と云ふ二つの兩端のみを見て憲法を規定して居つたと云ふのに對しまして、それでは不十分である、茲に國民統合と云ふ一つの思想を用ふべき基本的な性格を明かにしようと、斯う云ふ考から入つて居ります、偶偶文字が不十分であると仰せになりましたが、此の文字に關しまする心の持ち方が、人々に依つて非常に繊細な動きを致すものでありまして、私共は是で正しいと斯う申上げる外に、今の處御答へする途を存じませぬ発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=128
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129・長谷川萬次郎
○長谷川萬次郎君 今の御答辯でそちらの御心持は能く理解しましたが、私は甚だ危い御心持であると云ふ風に考へて居ります、それから其の裏に或はもつと何か深い御考が…是も法理上のことでありますが、此の前から屡屡ありました國體の變革と云ふ風なことを否定される心理が矢張りそれに關聯して、今のやうな御答が出るのぢやないかと思はれますが、是も私は寧ろ世界に對する日本の地位を明かにするのも、國體を變革したと云ふことを明かに言はれた方が宜いと思ひますし、又學理上國家を變革したと考へて少しも違ひはないと思ひますが、國體が變革したと考へるべきではないかと言はれた方々の考へ方も今私が申しました説明の點に觸れて居りませぬ、と言ふのは、此の日本國家と云ふものの性格が變つたことは、國體の變革ぢやないか、だから國體の變革と言つても宜いぢやないか、政府の方では國體と云ふ言葉は曖昧であると云ふことでありましたが、「フアンダメンタル・キヤラクター」と云ふやうな言葉が出ましたが、もう一歩進んで、學理上、法理的の考へ方、社會學的の見地から申しますと、差支へないことは明かであります、詰り國體變革と云ふのは、政治形態が、上の方の日本國家の「ポリティカル・ボデイ」としての國家の政治形態が變つたのでありますから、下の方の「ユニテイ・オヴ・ピープル」と云ふものは變らない、實體は變らない、だから國民統合と云ふ政治的言葉を用ひなければ、ちつとも國體の變革と云ふことを言つても差支ない、之を今の法理學者も、上の國家の方ばかりで變つたか變らぬかと云ふことを言ふが、變つたのは上の國家である、今日流行の粉食で、小麥で「パン」や餅を作りますが、小麥は「ユニテイ・オブ・ピープル」、電熱器や何かで作つた「パン」が國家、其の「パン」には、ふくらし粉を入れてふわふわにしたものがあり、搗いて餅にした固いのもある、それが國家の「ファンダメンタル・キヤラクター」である、固いのを專制封建的政體に譬へますと、軟かい、ふくらし粉を入れた「パン」は民主主義政體である、併し小麥と云ふものには變りはない、所謂「ユニテイ・オブ・ピープル」は變らない、國體の變化と云ふものは、國民の性格の變化とは又別のものである、それで何時か金森さんが國家の持續性が失はれる虞があると言はれて、「ソビエート」の例かなんか言はれましたが、あの場合は「ソビエート」は詭辯を弄したので、あれは舊國家の債務などを問題にされると生存が出來ませぬから、生存權の問題からああ云ふ主張をされたとも言はれますが、ああ云ふやうには行かないと思ひます、詰り「ユニテイ・オブ・ピープル」の實體が變らなければ、幾ら名が變つても專制封建時代の責任は負はなければならない、惡人から善人になつたと云つて、惡人時代の責任を負はないと云ふことは言へないので、自由國家になつても封建國家時代の責任を負はないと云ふことはない、國體が變化されたと云つても、小麥は小麥、ふわふわになつたか、餅になつたかと云ふことが「ファンダメンタル・キヤラクター」で、「フアンダメンタル・キヤクター」が國體でも、ちつとも「ピープル・オブ・ユニテイ」は變らないから國家の持續性が失はれると云ふことを考へるのは間違ひだらうと思ふ、さう云ふことに危險を感じまして、成るべくそれに觸れないやうにと云ふやうな考がありますが、私の今申上げたことは、斯う云ふ色々の煩はしい文句が出來たり、文字の使ひ方になつて居るが、要するに私の意見は少數意見に止まりませうが、若し出來得るならば此の少數意見に御贊成下されば、さう云ふ御心配はなく國體は變つたと云ふことを言はれると思ひます、斯う云ふ場合に、もつと平明な、さう云ふ政治的頭を持たない文字を…文字は觀念の反映でありますから、其の文字に依つて觀念が如何に變つてそれが間違つて居るかと云ふことが分るのであります、それでも此の文字を改められないでも宜いと云ふ所に、日本國民としての完成がまだ駄目であると云ふことを證據立てて居ります、どうか一つ長い間に、長い間と言つても此の憲法が成立する迄の間に御考を願ふと有難いと思ひますが、是は希望であります、もう是れ以上別に御答を求めることはないのでありますが、唯字句の問題になりますけれども、「主權の存する日本國民の總意に基く」と云ふよりは、私は「日本國民の總意に基く」と云ふので宜いのだらうと思ひます、と云ふのは、日本國民に主權があらうとなからうと…日本國民に主權がないと云ふことはないが、何處に主權があらうとなからうと、其處に天皇の政治的權力を持ち出す必要はない、詰り「象徴」と云ふことは、數千年來の傳統を保存される爲に茲に考へられたことでありますから…國民に主權がないと云つた時代でもさうであります、主權が國民に出來た時代に初めて天皇がさうなつたのぢやありませぬから、「主權の存する」と云ふことを「日本國民の」の條件にする必要はないと思ひますから、此の言葉は要らないと思ひますが、總て斯う云ふ要らない言葉を苦心されて加へたりする所に實際に客觀的事實…日本の天皇の象徴と云ふ性格はうまい表現と思ひまするが、其の表現が事實日本の歴史の上でどう云ふ意義を持つかと云ふことを理解されないから、特に此の「主權の存する」と云ふ文句を加へたのです、歴史を達觀してさうして能く理解して居られるならば、こんな言葉を使つて行く必要はない、日本國民は主權が何處にあらうと、天皇は日本國民の象徴であると云ふことで宜い、是等は總て客觀的な認識を缺いて居る所から來て居るのである、斯う云ふ色々の煩はしい文句が出來たり、文字の使ひ方になつて居るが、要するに私の意見は少數意見に止まりませうが、若し出來るならばさう云ふやうになされたいと思ひます、「主權の存する」と云ふ文字を政府は初めはお入れにならなかつたのだから、政府はそんなものを入れなくても宜いと思つて居つたに違ひないのでありますから、此の點に付ての質問と云ふよりは御贊成を申上げる次第であります、是で質問を打切ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=129
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130・下條康麿
○下條康麿君 私は若干の事項に付きまして簡單に御尋ね致します、御尋ねしたい點の第一は、第一章にあります「助言」と「承認」と云ふことを實際に行ふ段取りのことでありますが、是は衆議院に於ける御説明に依りまして、「助言」と云ふのは内閣から天皇に申上げる場合であります、「承認」は天皇の行動に對して之を承けて承認すると云ふ風に承知して居るのでありますが、「助言」か「承認」か一つあれば宜いかと思ふのであります、「助言」と「承認」と二つ竝べてありますが、それはどう云ふ風に御考になつて居りますか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=130
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131・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 「助言」と「承認」と云ふのは、觀念的に斯樣に分けた譯でありますけれども、實際の行爲の現象的な姿に於きましては、多くの場合に關聯して、何處から何處迄が「助言」であり、何處から何處迄が「承認」であるか分らないやうな形を以て行はるるのではなからうかと思つて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=131
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132・下條康麿
○下條康麿君 能く分りませぬけれども、例へば第七條の第三號に依り衆議院を解散すると致しまして、衆議院を解散せられたしと云ふことを内閣から奏上した場合には、其の「助言」に依つて最早完成するのではないかと思ひます、改めて其の天皇の御行動に對して承認すると云ふことはないと、斯う云ふ風に思ふのでありますが、或は此の以外に、天皇の方から直接御發動になつて、さうして天皇から衆議院を解散すべしと云ふ御言葉があつて、それに對して承認すると云ふことがあるのでございますか、其の點を伺ひたいと思ひます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=132
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133・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 是は寧ろ觀念的な問題でありまして、現實の場合に果してあるかどうかと云ふことは、實際の動きを俟たなければりま分せぬけれども、觀念的には今仰せになりましたやうな場合が有り得ると云ふことを信じて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=133
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134・下條康麿
○下條康麿君 それで伺ひたいのは、例へば今の天皇が衆議院を解散すべしと仰せられた場合、内閣が承認すれば宜し、しない場合にはそれが行はれない譯でありまするが、其の逆の場合で、内閣から衆議院を解散すべしと云ふことを申上げた場合に於て、天皇の側に於て御取上げにならないことが出來るのでせうか、消極的の場合に…発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=134
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135・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 民主政治の通體と申しますか、立憲政治の基本原則と申しますか、斯樣な場合には自ら一定の解釋があるものと思ふのであります、それは助言と云ふ言葉の斯う云ふ場合の使ひ方の上に含んで居る意味と致しましては、單に言葉を以て、知識を申上げると云ふのではなくて、佐々木委員が前の機會に能く言はれましたやうに、飽く迄も此のやうな方針を以て御行動を願ひたいと云ふ内容的なる主張を含んで居るものと解しまするが故に、其の主張を含んだ意味に於て助言と云ふ言葉を御解釋を願ひたいと思ふのであります、極めて之を法理的に緻密に言つて、今下條委員から御尋になりましたやうな場面は、法律學の教室に於ては固より論結しなければならぬ問題とは思ひますけれども、斯樣な場合には先づ立憲政治の常道に依つて動くものと考へる程度に於て御答を申上げたいと存じて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=135
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136・下條康麿
○下條康麿君 私も大體實際の運用は誤りなく行はれるものと信じまするが、例へば左樣な助言と天皇の意思と云ふものが一致しない場合のことは、第四條の「天皇は、この憲法の定める國務のみを行ひ、政治に關する權能を有しない。」と云ふことの枠から出ると云ふ意味に於て、それが出來ないと云ふことになるのでせうか、是は念の爲に伺つて置きたいと思ひます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=136
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137・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) ちよつと御伺ひ漏れしましたが、詰り助言は必ず行はれなければならないと云ふ根本の原理が、第四條の「國務のみを行ひ」と云ふことから結論されるかと云ふ御質疑と思ひますが、どうも言葉だけではさう云ふやうに見ることは無理でありまして、其處の所は政治的の讀み方で行くべきものではないかと私は考へて居ります、想ひ起しまするが、衆議院に於きまして、確か細迫君でありましたか、誰であつたかはつきり覺えて居りませぬが、天皇無答責と云ふことの基本的な基礎が此の憲法の中にあるかと云ふ御尋がありまして、其の論旨は今御觸れになりました點に竝行して居るものと思つて居ります、詰り天皇無答責と云ふことは天皇に過失が起り得ないと云ふことと竝行して考へなければならぬぢやないか、然るに此の憲法では、内閣から上申したことを其の通り天皇は行はせられなければならないと云ふはつきりした規定がないのだからして、斯う云ふ風に書いても、是は天皇の行爲を立憲的に規正すると云ふはつきりした根據はないので、昔の不可解な、なんと申しますか、濫用された天皇制が是から生れて來るのではないかと、斯う云ふ風の御質疑がありまして、私は其の時に御答をしたと記憶して居りまするが、其の御質問で摘出せられた點は、法律的に言へば甚だ尖鋭なるものがある、併し之を政治的の判斷を加へて見れば解釋は自から明かで、さう云ふ場合には間違つた結論は出る餘地はないとふ云やうに御答へして置きました、大體そんな風に御答へして置きたいと思ひます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=137
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138・下條康麿
○下條康麿君 大體金森さんの御考は分りました、それから次の問題に移りまして、皇位繼承の制定手續にに付て、實は皇位繼承の皇室典範の制定の手續に付て伺ふのであります、皇室典範が法律に依つて制定せられると云ふことを伺つて居りまするが、其處に其の内容が、或は先程も金森さんから御答があつたやうに、例へば現在男子の天皇のみを認めることになつて居りまするが、場合に依つて將來女帝と云ふことも考へられると云ふやうなことも御答があつたやうに思ひます、例へば或機會に於きまして女帝を置いた方が宜いと云ふやうなことで、其の皇位に即き得る内親王を擁立して、政黨と結び付いて多數が過半數で法律を通して豫定の天皇を作ると云ふことも可能であると思ひます、元來斯樣な國の大事が容易く法律の改廢に依つて動くやうなことは、是は餘程考へなければならぬことであらうと思ふのであります、それで法律に依ると云ふことは、此の第七條の第一號には憲法改正、法律、政令、條約を公布すると云ふ規定がありますが、此の中に皇室典範と云ふものがないので、此の全般の解釋では出來ないやうに思ひまするが、之を假に容認致しましても、此の改正の時には、なんとか唯普通の法律手續でなく、其處に多少愼重な手續を加へることが必要ではないか、例へば議決に付きましても、過半數に非ずして、三分の二とか…或は三分の二に依ることを憲法に規定出來れば結構でありまするが、或は近く出來る皇室典範法の附則の中にでも置くとか…、此の内容が國の大事であると同時に、皇室の、天皇御自身の御事に關することも多いのでありまするから、或は天皇からの發議に依つて國會に掛けて議すると云ふやうな、色々な愼重を期する方法があらうと思ひます、さう云ふ方法は御採りになる御考であるか、其の點を伺ひたいと思ひます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=138
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139・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 皇室典範に付きましては、此の憲法自體に於ては、名前は違つて居りまするが、性質は普通の法律である、故に法律一般の制定手續と全く同じ手續を以て行はるると云ふ風に考へて居ります、仰せ迄もなく、皇位の繼承と云ふことは重大なることであることは固よりでありますけれども、併しは法自體と對比する關係に於きましては、非常に複雜な立法の手續を設けまするよりも、普通の法律手續に隨つて、之に對する國民の緊張したる心理を以て議決せられることが妥當である、斯う云ふ解釋であります、尚或一つの考と致しましては、斯樣な特殊な法律は、憲法上の手續としては固より此の憲法の豫期する途に依る外はございませぬけれども、斯樣な法律の案文を準備する前提に於ては、其の愼重を期する方法に付て研究すべき場面があるのではないか、斯う云ふ論もありまして、是等の點は念頭に入れつつ考慮して居る次第であります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=139
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140・下條康麿
○下條康麿君 皇室典範の制定に付きましては愼重に御考を戴けるやうでありまずるから、尚更に十分御研究を願ひたいと思ひます、それから次の問題は、第六條に「天皇は、國會の指名に基いて、内閣總理大臣を任命する。」とあり、第二項に、衆議院の修正に依りまして、「天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。」と云ふ一項が加はつた譯であります、是は金森さんの御説明に依ると、三權の一たる司法權の地位高きことを明かにする爲に、最高裁判所の長たる裁判官の任命が加はつたと云ふことであります、それで私はちよつと疑問に思ひまするのは、同じ三權分立の一である所の國會の、衆議院及參議院の議長、副議長の任命も、當該議院の選擧に基いて天皇が任命すると云ふことが茲にあつて宜しいのではないか、さうすることが此の立法機關の地位高きことを明かにする所以でもあり、又象徴たる天皇と立法權の繋がりと云ふことも愈愈はつきりして來るのでありまして、實はさう云ふ風に願ひたいと思ふのでありまするが、茲に裁判所の方だけ規定されまして、立法權の方の關係は除けて居るやうですが、是はどう云ふ御趣意でありますか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=140
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141・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 衆議院と參議院は國民代表の合議の府でありまして、且又それが此の憲法の建前に於ては最高機關と云ふことになつて居ります、それ等の趣旨を綜合致しまして、是等は大體自治的な立場で以て自己を組立てると云ふ方針を執つて居りまして、それの役員等も自ら定める、詰り他から議長等を任命されないで、自ら選擧すると云ふ原理を執つて居ります、斯く致しますることが國會の地位に相應しき行き方ではなからうかと云ふ見地を執つて居りまして、現在の大權政治の憲法の動き方と、改正案に於きましての大權政治に依らざる憲法の動き方とは、其の點に於て差異を生ずることは已むを得ざるものと考へて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=141
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142・下條康麿
○下條康麿君 其の點は三權分立の方から見ましても、左樣なことが、それは意見に屬しまするから此の程度にして置きます、それから最後にもう一點伺ひたいのは、第七條の第七號に「榮典を授與すること。」と云ふ規定があります、此の榮典は、從來は大權事項でありまするから、關係の法令は勅令で規定されて居りまするが、今後は此の關係は、國民に主權があり、それから流れ出る所の代表の力に依つて決定されると云ふことでありますから、榮典に關する根本法と云ふのは、法律で以て決めなければならぬと云ふやうに思ふのでありますが、此の邊は如何に御考になつて居りまするか、それから榮典の範圍でありまするが、原案の第十三條の第三項に「榮譽、勳章その他の榮典の授與は、」とありまして、勳章のあることだけははつきりして居りまするけれども、其の他はどう云ふやうな構想に依つて之を含まして居りまするか、又もう一點は、現在の榮典は現に之を有する者は其の效力を有すると云ふ規定がありまするが、それは一應廢せられますのか、繋がりを以て續けられるものか、さう云ふ現在の榮典と憲法との繋がりの關係を伺ひたいと思ひます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=142
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143・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 榮典の制度に付きまして、之を法律を以て規定すべきか、或は法律以外、例へば政令を以て規定すべきかと云ふことに付きましては、政府部内に於ても議論としては兩樣の見方がありまして、目下研究中である譯であります、榮典の内容として如何なるものを設けるかと云ふことに付きましても併せて研究中でありまして、其の基礎たる規定を何處に求めるかと云ふことと併せて答を致したいと考へて居ります、從來の既に付與せられて居る榮典に付きましては、此の憲法が變りましても、其の榮典たる效果に於て變る所はないものと考へて居ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=143
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144・下條康麿
○下條康麿君 私の質問を終ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=144
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145・織田信恒
○子爵織田信恒君 ちよつと後二三分ありますが、次は私の番でございますか発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=145
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146・安倍能成
○委員長(安倍能成君) さうです発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=146
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147・織田信恒
○子爵織田信恒君 さうしたら、私は實は質問することがなくなりましたが、ちよつと二三分で片附けてしまひます、私は皇室典範に付て御尋ね致したいと思つて居りましたのですが、先刻來委員諸君の御質問を拜聽致しまして、私の伺ひますことはなくなりましたから止めようと思ひますが、唯一點まだどなたも觸れておいでにならない點、且私が多少疑問に思つて居る點を一點だけ簡單に伺ひます、それは今後皇族の範圍が非常に狹くなられることであらうと思ひます、自然婚姻問題と云ふものが、矢張り優生學的の立場から見ても、皇族以外の國民から選ばれると云ふやうなことが當然起つて來るのだらうと思ひますが、其の中で取り分け皇后若くは將來皇后となられるやうな女性を選ばれると云ふやうなことは、是は皇室典範の中に入るものでありませうか、それは矢張り皇室若くは皇族の私事として、其の外にあるのでございませうか、此の事柄は、皇后の選定と云ふやうなことは、性質から見ますとなかなか重大なものでありまして、日本の女性は矢張り日本の女性の象徴として皇后を仰ぎますし、又將來の天皇の母となられる方で、清らかさ、温かさと云ふものが望まれる譯でありますが、斯う云ふやうなことが皇室典範の中に入りますのですか、それとも私事として外に出るものでありますか、ちよつとそれだけ伺ひたいと思ひます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=147
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148・金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 織田委員からの御尋の點は、實は非常に重大なる問題でございまして、單り今仰せになりました點ばかりでなく、婚姻に依つて皇族の中にお加はりになる一切の立場を併せて考へなければならないと思つて居ります、先づ平たく申しますれば、婚姻は個人の立場から言へば、私事であると云ふことは言へると思ひます、從つて一般の民法的なる規定に依つて規律して宜いと存じて居りますが、併し此の特殊の場合に付て考へて見ますると、皇族の範圍と云ふことは即ち皇位繼承の範圍であり、攝政就任の範圍でありまして、非常に重大であります、それに對する國の秩序としては餘程能く考へなければなりませぬ、現に問題として居りまする一端を言へば、例へば嫡出子とか庶子とか云ふやうなこと迄も公の關係があるのではないかと云ふやうに考へて居ります、さうすると、婚姻の關係から皇族の中に於ける特殊の地位をお持ちになる場合に於きましては、どうしても相當に注意周到に規定を考へなければならぬぢやないか、斯う云ふ論が起りまして目下研究中でございます発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=148
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149・織田信恒
○子爵織田信恒君 私の質問は是で終ります発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=149
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150・安倍能成
○委員長(安倍能成君) それでは今日は是で散會致します、明日は午前十時から開會致します
午後四時一分散會発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=150
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151・会議録情報4
出席者左の如し
委員長 安倍能成君
副委員長 伯爵 橋本實斐君
委員
公爵 岩倉具榮君
侯爵 細川護立君
侯爵 中山輔親君
侯爵 淺野長武君
三土忠造君
子爵 大河内輝耕君
大谷正男君
男爵 白根松介君
子爵 織田信恒君
子爵 三島通陽君
子爵 松平親義君
山田三良君
平塚廣義君
牧野英一君
佐々木惣一君
松村眞一郎君
村上 恭一君
男爵 飯田精太郎君
霜山精一君
下條康麿君
川村竹治君
岩田宙造君
高柳賢三君
南原繁君
男爵 松田正之君
男爵 中御門經民君
男爵 渡邊修二君
男爵 松平齊光君
田所美治君
野村嘉六君
澤田牛麿君
松本學君
宮澤俊義君
結城安次君
瀧川儀作君
小山完吾君
長谷川萬次郎君
淺井清君
渡邊甚吉君
國務大臣
内閣總理大臣兼外務大臣 吉田茂君
國務大臣 男爵 幣原喜重郎君
文部大臣 田中耕太郎君
國務大臣 齋藤隆夫君
國務大臣 植原悦二郎君
國務大臣 金森徳次郎君
政府委員
法制局長官 入江俊郎君
法制局次長 佐藤達夫君
外務事務官 大野勝己君発言のURL:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/simple/detail?minId=009002531X00919460910&spkNum=151
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